2002年4月と5月と7月の怒り

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開会式 2002年7月24日午後8時

 まあ当然だが県大会には開会式なんてものがある。埼玉や東京のようにトランスポートが整備されているわけではないので、もちろんだがバスを仕立てて1時間以上かけて本島の真ん中辺りまで行くのである。
 で、行ったら行ったで生徒は2時間近く日干しなのである。もちろんその辺り気を使って4時から始まったりするんだが、それでも暑いことには変わりない。

 これ、何のためにやってるの?いいじゃん、それぞれの競技会場でやる奴で。
 誰がやりたいのかねえ、とみんなで話し合ったけど分からなかった。


うわあん。2002年5月25日 21時00分

 負けたあああ!

 おかげで明日休みになったので嬉しいような。でも負け方が良くなかったのでいらいらするし、腹は立つし。

 とにかく仲直りしろ、シード取ってるんだからもうダブルス離せないんだからね。>部長と二番手


3年越しの喜び2002年5月24日 22時20分

 沖縄の中学校では大抵校内陸上というのがある。まあ要するに運動会みたいなやつである。
 普通にいろんな競技があって、一番盛り上がるのが学級リレー。全員で走る。お遊び種目はない。

 今の学校に来て1年目、学級リレーは取ったが総合では2位。隣りの同期のクラスに持っていかれた。とても悔しかった。私は無駄に負けず嫌いだ。

 2年目。もう勝負にならないクラスだった。スポーツ系のは全部最下位で、体育祭の千変万化(障害物競走の学級リレー)だけは散々頭使って練習もして取った。
 考えると割と私無駄な努力してるな。

 さて3年目。今年は3年担任で、勝てば本当に勝ちである。3年は競技も多く、結構盛り上がりも凄い。

 練習では学級リレーもぶっちぎりで、メンツを見ても「ひょっとしていけるかな?」とは思っていたんだが、こればっかりは蓋を開けてみないとわからない。点を取れる競技で取って、取れない競技でも最低4位ぐらいには食い込んでおかないと優勝は出来ないのだ。
 せめて学級リレーだけでも、と思って練習してみたり、鉢巻きを作ってみたり。<派手な鉢巻きはバトン渡すときに目立つので効果的。応援もしやすい。
 保護者の方が前日から「優勝幕作っていいですか?」と電話まであって、他のクラスを敵に回したりしながらの当日。

 午前中は自分の仕事(砲丸投げの審判)でもうとんでもなく大変だったので、何が起きてるかほとんどわからなかったが、昼の集計では大分得点差がある2位。まあこんなもんでしょう。
 そう簡単に勝てるもんではないんだね。

 午後のリレーだけではあんまり逆転できそうもなかったので、遅れてきた体育イベント嫌いな子達とテントで応援。なんか沢山賞状がある。
 リレーは男子も女子も結構良くて、1位のクラスを見てなかったので得点差は計算できないがまず気分はいい。

 学級リレーで、体育が嫌いな子がどうしても走らないというのでみんなで説得していたら自分の仕事に出遅れて走る。最近運動してないので吐き気がする。

 さて学級リレー、私は第3コーナーで応援しつつ生徒管理してたんだが、女子のアンカーがバタバタしている。
「先生、一人足りない!」
「なんで??」
「わかんない!」確かにウチのクラスだけ二人しかいない。他のクラスはあと3人づつ。何故だ。
「わかった、舞(仮名)、戻ってきてもう一回走れ」
「無理だよ〜先生、わかった、先生走って!」
「ええええ?」あれよあれよという間にコースに。
 向こうから良之助(仮名)が走ってくる。手を振るとびっくりしている。そりゃそうだ。
 走って行った先でバトンを取る賀立(仮名)もびっくりしている。そりゃそうだ。あとで聞いたら、「俺に渡すはずの人が先に行っちゃったから俺は誰からもらうのかと思ったら先生が来てびっくりした」まあそうだろう。
 賀立(仮名)がバトンゾーンで走ろうとするので叫んで止める。「走るな!!」だって追いつけないしさ。トップで貰って一応トップで渡しました。(差は縮まったけど)

 まあ色々あったがとにかくぶっちぎりで優勝、学級リレーとるのはやっぱり格別なんだよね。
 テントに戻ったら副級長麻奈美(仮)が「せんせい!私走ってない!」意味がわからん。
 よくよく聞いたらどこかでずれたらしい。ウチのコーナーと対角で一人余って、ウチが一人足りなかったというわけだ。この子はクラスでも2番目ぐらいに早い子で、走るのも大好き。じたばた暴れていたので、「わかった、ウイニングランしておいで」とリリースしたらクラスの女の子達で走れる子15人位連れてトラック一周暴走していた。それもまた良し。
 黄色い鉢巻きで集団で目立っていたので怒られていたが。

 さて表彰。

 学級リレーはまあ走ったとこで結果わかっていたが、男子1位。きゃあきゃあ。
 女子1位。え、ってことは総合優勝?学級リレーも取ってるから完全制覇?うひゃー!

 嬉しいですね。その日は午前中の審判がたたって死んでいたのでお母さん達が用意してくれたいろんなものやいろんなことにお礼も言えなくて。
 さて、打ち上げどうしようかな。へへへ。


メジロその後2002年5月20日 20時20分

 週末に餌付けしっかりして手乗りにしたメジロ、正直なところ重荷だった。
 自分でエサを食べないので、ずっとついていないといけないのだ。
 でもカゴに手を入れれば指にのるようになった小さな生き物を愛さずにいられようか。

 学校に連れていって、職員室の裏のドアのそばに置いたら外でメジロの声がする。ひょっとして、と思ってカゴを載せたパイプ椅子を外に出したらやっぱりメジロが一羽寄ってくる。

 多分親だ。

 手に乗せてカゴから出す。カゴに止まらせる。向かいのガジュマルの枝に親がおりてくる。

 子メジロが飛んだ。

 しばらく見ていたら親が呼ぶ方へと少しづつ移動していった。木の間でエサをねだるときの声がする。透かしてみると虫を貰っているようだ。

 良かった。


メジロパニック2002年5月19日 21時00分

 ろくに更新もしないで何をしているかというと、メジロの世話をしている。

 理科室には生き物が集まる。生徒が傷ついた生き物を全部理科室に持ってくるからだ。ちょっと珍しい生き物なんかも全部来る。離島だと島中のおじいオバアが持ってくるのでそれも大変である。

 この間一羽死なせてしまったので、弱気な対応になってしまい今ウチにメジロがいる。

 保護するのは幼鳥が多いので種類とか良くわからないことが多いんだが、どうやらリュウキュウサンコウチョウの幼鳥を生徒が拾ってきた。ひどい脳震盪で、まあ落ち着かせればそれだけで大丈夫なことが多いので暗くして放っておいたらだめだった。ちゃんと座れないし留まれないので、多分だめかなと。
 諦められるわけもないので、取りあえず座れるようにまわりを柔らかくして、水だけ飲まして外に置いてみた。大抵は2階理科室から放すんだが、このときはそのまま落ちたら死にそうだったので中庭の物置になってる机に。
 1時間ぐらいして見たら、向かいのガジュマルまで移動してたのでまあ良しと思ったら、次の日頭と羽根だけになってた。多分猫だろう。移動も生徒がしたのかもしれない。あれじゃ飛べなかったはずだから。

 で、その悲しみも癒えないってのに今度はメジロ。多分。何でか目の回りが白くない。幼鳥はそうなのか?多分巣立ち直後、まだ親からエサ貰う時期で、3m位飛べる。猫に食われるだろうなあ。元の場所に戻したら。
 ウチのクラスの掃除場所で落ちてたらしいし、拾ってきた隣りのクラスのサッカー部も心配そうだし、一週間で2羽も死なせたくないし。昼休みダッシュでその辺にいた選択理科の子を荷物持ちにカゴとエサを買いに行く。生まれて初めて鳥もちを見て感動した。閑話休題。

 最初はエサも食べなくて、同僚の先生が給食デザート用スプーンでへらを手作りしてくれたのでいちいち食わす。だんだん慣れていくらでも食う。一度食うようになったら私でなくても食う。(当たり前か)通り掛かりの先生もエサをあげてくれる。ありがたい。
 授業数が少ない(つまり忙しいんだが)教務の先生(理科)の机の後ろにカゴを置いて、授業中は世話をしていただく。自分の授業も大分気がそぞろだ。いいのかこれで。
 まだ飛べないので(って言うか自分でエサ食べないし)週末は我が家に。風でカゴが吹っ飛んでみたり、もう出る時間なのに「ご飯ちょーだい」鳴きしたりで、たかが鳥一羽に振り回されっぱなしである。

 明日もカゴ掃除とエサやりのために早起きするので、もう寝るのである。


さーてどうすっかな。2002年5月19日 20時20分

 嫌な時期にいい感じの試合がある。いやな場所(遠い)である。去年も中間テスト直前だった。一昨年もそうだった。

 一昨年は時期が悪いと出さなかったら父母会のうるさいことうるさいこと。

 去年は優勝できそうだったので出したらまたうるさいことうるさいこと。

 結局何しても文句は誰かが言うので、私が決めることにしたんだがさて。
 3年担任の私はやめろと言っている。顧問の私は出せと言っている。


市大会で負けてみました2002年5月13日 20時20分

 実力は多分地区2位のウチがこの間優勝したのはやっぱりフェイクではないかと。

 なんかぼろぼろでした。賞状は結構あるんだけど、あればいいってもんでもないしね。
 部長に優勝させたかったなあ。

 で、他の競技は2チームしかエントリーしてない競技でも準優勝に賞状あるのに、何でバドだけないんでしょう?


忘れてっちゃだめ2002年5月6日 21時00分

 一昨日バーベキューした。JOCVの後輩夫妻を御招待&働き手としてバド部員達である。

 なんかもうその辺大人になっちゃったので、サザエとかシャコガイとかしか捕らない私には理解できない彼等の行動。

 とにかく採集するのである。

 動くものなら何でも追いかける子供は魚とか蝦蛄とか捕ってた。もちろんヤドカリとかカニとかイガイとかもみんな餌食になっている。ヒザラガイまでひっくりかえしてるのには驚いた。アンファンテリブル。
 その上帰るとき危うく忘れてくし。誰が放しにいくと思ってんだ。

 大人は何を捕ってたかというとアーサ。結構延々と採ってた。晩ご飯に、と。
 結局大人はウチで晩ご飯食べてったんだが、今朝気が付いたが彼らも忘れてってんのね、アーサ。

 どうしようあれ。


優勝ってかスクデット2002年5月6日 20時20分

 スクデット取っちゃいましたねえ、ユーベ。割と嬉しいはずなんですが、こう盛り上がらない。なぜか。

 やはり決定戦が今一つだったからか、今年は忙しくてあんまりシーズン中見てないせいか、ダビッツが移籍って話が出ているせいか。

 決定戦は御存知の通り、インテル・ユーベ・ローマが1ポイント差で並んでいて、インテルが勝てば自力優勝(アウェーでvsラツィオ)、ユーベが勝ってインテルが勝たなければユーベが優勝(アウェーでvsウディネーゼ)、ユーベもインテルも勝たなくて(引き分けも有って事ね)ローマが勝てばローマが優勝。
 しつこく続けるならインテルが引分けでユーベが勝たなくてローマが勝ったらプレーオフだったそうだ。
 まあローマはどうでもいいとして、ウディネvsユーベときたら、ホームチームのやる気が無くて。まあホームで相手チームのサポーター8割って言うからやる気もなくなるだろうが。最初の10分ぐらいで2点入ってそれでお終い。
 私はダビッツが見たくて見てる口なんだが、さすがにコンテがこけて痛いのにガッツポーズかましてるあたりからは時々120chと平行してみていた。<ラツィオvsインテル戦。
 やるじゃんラツィオ。これは幸せ。でもなんかこう、ラツィオは偉いけどインテルがなんだかで。納得行かないって言うか。

 忙しくて見てないってのは、日曜夜中まで起きてると次の日起きてられないので。ただそれだけ。まあ見るほどの情熱が今無いってことかもしれないが。

 ダビッツが移籍ってのはちょいと納得いかない。ユベンティーノだって似顔絵振り回してたじゃないか。くーっ。


優勝2002年4月29日 21時02分

 どうしましょう。なんででしょう。優勝してしまいました。

 まだ早い、と言うか、なんか納得できないんですが。
 私自身がなんかまだ納得できないというか、「早すぎ?」って思うし、去年の強かった子達と比べてもなんか頼り無いって言うか。大体団体戦メンバーに3年3人しかいないし。そのうち二人はラケット握って半年とか10ヶ月とかだし。
 いいのかこれで勝って。だめなんじゃないか。

 今の高一からメールが来て、返事を「優勝した」と出したら、信じられないらしくて「先生、ホントに優勝したの?」としつこいくらい聞く。まあ気持ちはわかる。今のうちの3年異常なくらい層が薄いのだ。去年の5月なんか一番手(今の部長)が一回戦負けするレベルだったのだ。それもこれが唯一1年からバドミントンやってる3年生だ。信じられないのも無理はない。

 同僚から電話がある。
「試合だったでしょ?バスケ部も優勝したみたいだし、バレーも結構いいとこまで行ったみたいだからどんなかと思って」
「え、優勝したよ」
「あ、女子?」
「いや、うち」
「え、女子でしょ?」
「だから男子。個人戦はダブルスで2位と3位。女子は6位でダブルスが一つ3位」」
「え、なんの大会?」
「地区シード権」
「凄いじゃん」<ここまで言ってもなんか納得いってない感じでしたね。

 一応誰恥じることない見事な優勝だったんですが。

 一応訳わからない方のために説明すると、バドミントンの団体戦は第1ダブルス・シングルス・第2ダブルスの3つで勝敗を決めます。第一と第二ならもちろん第一に強いのを出すべきです。一応そういうことになっています。
 で、実力はは第一の子達を第二に回したりして勝とうとすることをオーダーで勝負する、と言います。シングルス取れるけどダブルスに不安があるときとか有効で。でも相手の戦力がわかってないと出来ないし、ちょっとせこいかも。さて本論。

 強い子いたときもオーダーで勝負したりしてたんだけど、今回は決勝トーナメントの対戦表みたら一次リーグ2位で抜けたほうが勝ち上がれそうな感じだったので、一瞬「これはわざと一試合落とすか?」ってな嫌なことまで考えた。オーダー勝負どころではない。
 部員達も「そうだ!」と色めき立った。私は勝たせたいのだ。みんな勝ちたいのだ。シード取らないと本大会で勝てないから。
 でも試合を重ねるうちにそんな自分たちがなんか嫌になって、「いいか、真っ向勝負で」って気持ちを強く持って、楽に相手できそうなところには6番手と7番手も使ってリーグは一番で抜けた。6人目7人目も使っていかないと、長いトーナメント勝ち上がれないのだ。団体戦デビューだったこの二人も結構良かった。これは嬉しい。

 決勝トーナメントは一番嫌な道のりだ。この代になってからうちは万年3位で、それも1位と2位とはうーんと離れた3位で(そして4位ともうーんと離れている)、なんか団体戦つまんなかったのだ。その2校に当れば負けて。それ以外は楽勝で。
 その二つに続けて当るわけだ。

 まず準決勝。この学校はうちなんか眼中に無い。だってうち今の代団体戦で勝ったことない。小学校からの経験者もてんこ盛り。だから体力のない強い2年を第2ダブルスに回してあった。体力温存、一番手を決勝に残してあるわけだ。一応普通のオーダーかも。
 うちは真っ向勝負、第一ダブルスとシングルスで取りに行った。王道である。ちなみにこの代になって初めての王道である。考えるの嫌になったってのもあるんだが。体力のことも考えず一番手をシングルスに、2/3番手をダブルスに。
 今のうちは誰がどこに出てもいいように組み合わせを決定していないのが特徴のチームで、だから6・7番手も使えたのだ。これで負けてももともとだ、行ったるぜ!

 ・・・と行ってみたら勝ってしまった。それも2-0。なんだこれは。

 ってなことを言ってる間にすぐ決勝。あっちの準決勝はあっさり終わり、もともと第一シードなので試合数も少なくて体力も満タン。いいわねえ、強いとこは。優遇されて。
 これも真っ向で行ってみた。でも一番手はもうシングルス無理そうだったので2番手か3番手か微妙なとこの部長をシングルス、今私が一番期待してるダブルスをそのまま第一に、余った二人(部長のダブルスパートナーとラケット握って1年の5番手)を第2に回してみた。県1位ダブルスのいる学校、シングルスを部長でとれると踏んでみたんだね。第2同士ならこっちが強い。第一は多分だめだろうが個人戦でも当るし、とにかく真っ向。
 フタを開けてびっくり、オーダーで勝負されてしまった。シングルは一番手で多分県一位ダブルスの片割れ。勝てるわけない。で、第一は捨て駒にして第2にいいとこ持ってきてある。痛い!これは痛いよ!せっかくのチャンスなのに!だめじゃん!

 と思ってたら、恐ろしいことにうちの余りもんペアが向こうの実質第一ダブルスに勝ってしまったんだね。それもストレート。なんだこりゃ。

 もちろん勝ちやすいように色々企んではみたし、一応方向だけは私の育てたい方向に行っている。でもまだまだ足りない。それも私なんか素人なのである。いいのか勝って。だめなんじゃないか。

 とこうだらだら書いててなんか勝った原因がわかった気がする。舐められてたんじゃないかな?ま、いいか。

 地区優勝なんだから、もうちょっと嬉しくていいような気がするんだけど、なんか釈然としないもんが全員の心の中にある、そんな大会だったな。
 私、去年のこの大会で感動してバドミントンに嵌ったんですけど、(2001年05月24日の奴です、今読んで懐かしかった)もうなんか全然違いますね。面白かったですけど、準決勝の第一ダブルスとか。でもなんか違うよなあ。(きりが無い)


敵を作りたくないですね。2002年4月29日 21時00分

 最近結構激しく怒っている。敵も作って評判も落とすくらいにばりばり怒っている。大人相手に。
 でも敵作っても仕方ないので、しばらくは腹が立ってもすぐにはリアクションを起こさずに、100位数えてからものを言うことにしようかと。いやそうした方がいいとT主任に言われたもんで。そうかなあって。

 100じゃあんまり意味ないか。どうせ3日ぐらい怒ってるしね。あ、三日ぐらい考えてからケンカ売ればいいのか。しかしどうして私はこう喧嘩っ早くて口が悪いかねえ。反省なんかしないけど(あたし悪くないし)どうせ怒ったって相手変わりゃしないんだから、無駄なのにね。


気に入った歌2002年4月29日 20時55分

 年をとると沢山のことが出来るようになる。そして出来なくなることもある。相変わらず出来ないままのこともある。

 売られたケンカを買わずに済ませる。周りを濡らさずに顔を洗う。できない。

 行きたいところに行ける。食べたいものが食べられる。自分は耐えずにまわりの人を幸せにする手助けが上手くなる。観察が得意になる。その当りのゴミが拾える。声が聞きたい相手に電話をかけられる。私は多少大人だ。

 どこかで耳にした歌をCD屋のカウンターで歌って見つけてもらう。拾った金で飲みに行く。クラッチワイヤーの切れたバイクで20km以上移動する。寝袋で神社で寝る。空腹の時「おなか空いたご飯食べさせて」と人に甘える。

 もう出来なくなったことを懐かしんでいる。


愛大爆発2002年4月14日 20時35分

 あー、もう、なんでこんなにかわいいの!<クラス会帰り立て

 いや、私にしたらもう大変なクラスで、自分の教員としての資質に疑問持ったりとか心の底から二度と持ちたくないクラスなんだけどね、でも心の底から愛しているな。
 ホントはあの子もあの子もあの子も担任で持ちたかったんだけど4人しか(繰り言になるので終了)


布団が吹っ飛ぶ2002年4月14日 12時35分

 久々にまったりお休み日曜日、部活動が第2・4日曜禁止になったのだ。うちもお休み。天気もいいので布団なんか干してみる。

 うちは海風が強くてねえ。もう5回も吹っ飛んでるんだね。今も横目で蒲団見ながらの更新。掛け布団は諦めた。
 蒲団ばさみ買ってこないといけないのか、でもどこかにあるはずなんだが。

 ちなみに部活動が無いので今日はクラス会である。


イモリをとる2002年4月14日 11時55分

 2年の内容に動物の観察がある。なぜかイモリである。その辺にいるもんなのか?よくわからないが教科書に載ってるし、沖縄には結構いるので捕りに行く。
 前年ながら私は山系アウトドアは苦手。坂道が降りられない。と言うわけで生徒と行く。
 土日は様々な体験を、って文部省の提示しているラインにもばっちり。ま、私は地域や親ではないけどね。

 やはり一番なじみもあるし、部のあとそのまま連れていっちゃえば手間もないや、と思っていたが、D@2年キャプテン副部長その2が「えー」と不服そうだったので、私がヘソを曲げる。
 じゃあバド部でなくてもいいや。他にいくらでも行きたいやつは居るだろう。

 クラスでもいいかと思ったが、ちょうど選択で2年に行ったらウーマクN0.1が「お願い俺を理科に入れて」モードだったので声をかけたら二つ返事で「行く!」よしよし。

 ウーマクな子は、向きは間違ってるけどベクトルが強い子が多いので、私は結構面白くて好きだ。
 こいつら3、4人とバド部の行きたがってる子達でいいくらいだから、学校車も借りておこうね、と。車イモリ臭くなるの嫌だし。

 土曜の朝、何だかわからんがバド部が行く気になって盛り上がっていたが、ウーマク達を見て引いた。まあそれ位の暴れん棒ばっかりだっていうのと、うちの子達が人見知りだってことさね。
 未練残してるバド部も居たみたいだけど、行く行かないでごちゃごちゃしててもう面倒くさくなったのでウーマク達に学校車で待つように指示してミーティング終了後準備する。
 一緒に行くと言ってた大先輩はこの辺で待ちきれなくなったらしく先発。
 いざメンツを見たら、うひゃー、まあ、これって、というような充実振り。私の総合を取ってた学校選りすぐりのウーマク達。あと一人居たら総取りじゃないか、これは。例の私の去年のクラスの赤い花も居る。ちょっと不安だがまあ大丈夫だろう。私にはかわいい子達である。
 廊下でケニアの後輩と会った。「一緒に行っていいですか?」もちろんいいとも。
 わさわさと出発。行き先を聞いた後輩「奥さん呼んでもいいですか?」もちろんいいとも。人は多いほうが楽しいし連れはウーマク7人組だし天気はいいし海沿いドライブだ。

 行き先は秘密だがとにかく捕る。ウーマク達駆け回る駆け回る。なぜか後輩も駆け回る。奥さん(アキコさん)も結構戦力になる。私はもうそれはいいとこなのでのったりと休む。それにしても子供こういうときいいねえ。幸せそうだねえ。
 先輩は待ちきれなくて帰ってしまった。この先生は赤い花のおじさんなんだが。連絡とったら残念がっていた。
 最初の場所が今一つで予定の半分しかとれないので次の場所に回る。

 こっちは大当たり。さっきの場所で1時間かけて捕った数ものの5分で捕り終わり、なんかいいとこだったのでちょっと遊ばす。
 ここはきれいな水の流れるところ。天気が良くて緑にあふれるところ。まだ4月だっていうのにもう子供たちびしょぬれ。頭流れに突っ込んでみたり、ちょっと流れ落ちてるとこに立って震えてみたり、寒くて日なたで丸くなってたり、びしょぬれのジーンズ絞ってみたり。
 私もそうだったけど子供水場好きだねえ。トランクス一丁ではしゃぐはしゃぐ。学校では斜めになってる子達だのにね。
「え、(この「え」は沖縄方言で「コラ」とかそういう奴です。えに濁点がつくといい感じなんだが)ビニールは捨てないよ!」
「おい、先生がビニール捨てるなってよ」「拾わんと」みんなで拾ってる。お利口だなあ。

 みんな落ち着いて大分寒そうになったし、もういいかな、と頃合いで帰る。
 途中で野菜安いとこ通りかかったのでリンゴとトマトを子供にあげて、私とアキコさんは野菜買いだし。
 日にも当ってるし、遊んだなあと言う感じ。楽しげにくったりしているので、休みは潰れたけどいいかな、と。

 来年もまたよろしくね、と言ったら「じゃあ電話して」と赤い花が言った。

 来年もこの学校にいられるといいんだが。

 ついでに後輩のうちでアキコさんの手料理まで御馳走になりました。私にもいい休日だった。しかし今生きているのかイモリ。これから学校にエサやりに行くんだなあ。


何が良いやら2002年4月10日 19時48分

 クラス決定で学年が移動した。今度は3年、一昨年教えた子達だ。発表があった途端歓声が上がった。これは嬉しい。
 新2年生からはどよめきが。これも嬉しい。

 でも担任もって喜ばれるのってなんか癪。どっちかって言うとちょっと「えー、やだ厳しいのに」って言われてみたい。

 私の授業は結構早くて難しい。と言われるからそうなんだろう。今日その久々な子達に初授業。「楽しー!」と終わった途端叫んでいた子がいた。ぽやーっとしてる子もいた。全員巻き込む授業は難しい。でも37人のクラスで半分ぐらい楽しかったら良いかなあ。だめかなあ。

 部の子@2年で元私のクラスが。「先生、前代未聞の授業だったよ。もうわけわからん」。この教科は、今まで見た中で一番その教科教えるの上手な先生に教わってた子達。それでも前代未聞って何?まあ私の授業も変わってるって言われるからな。

 なんかもうやたら学活があって、飽きた。3年だからそんなに無くても出来るのよう。もういらない。と担任の誰もが言うんだけど、1年は足りないんだよね。多分。と自分に言い聞かせてるけど、はあ、何しよう。理科しようかな。いろんなカリキュラム詰めてないからこんなことになるんだよね。

 選択のためにどんなコースがやりたいかのアンケートをとった。去年の教え子新2年のうちの何人かが、「1年からやり直したい」「あんまり実験しなかったからもう一度やりたい」ありゃりゃりゃりゃ。実験最大限にやったんだけどね。一クラス少なめのクラスがあったからそれかなあ。やっぱりみんながわからないとだめなのかしら。<もちろんだめだ。

 でもカタカナ書けない子とか計算ほとんど出来ない子に、「楽しい」じゃなくて「わかる」をというのは結構ミッションインポシブルなんだけど。

 補充のJOCV後輩(ケニア)が総合が不安だというので合同学活にした。このクラスはホントは一番持ちたかったクラス。(いやもう今は自分のクラスが可愛いんだけどさ)
 いやこの後輩君が面白かった。学活もTT、味を占めた。私より話上手いかも。いや笑い転げたよ。ポイントは多少ずれてるんだけど、とにかく面白い。

 担任・教科担任として。迷いは尽きないな、と。

 今の迷いはとーーーっても遅刻がちな生徒さんに毎朝モーニングコール入れるかどうか。


育てて2002年4月10日 19時40分

 かわいい元のクラスの子が春休みに転校した。
 転校先の学校から電話があった。

 その子はとても良い子というわけではなくて、まあうちのクラスでは手がかかるベスト5には入ってるような落ち着かない子で、成績だってそんなに良くはなくて、でも私はとてもその子を愛していた。
 その子は赤い花だったから。

 自分からどんな人にも声をかけて、ケンカになることもあったけどでも言い合いしてるときも誰もが楽しそうだった。人を喜ばせる赤い花。いや、ろくでもないこともしたりしたけどね。カレー食べてるのにうんこの話したりとか。そういう子。

 それでも私はとてもその子を買っていた。だって赤い花だもの。心が温かい子供。
 その子が素直に育つように、それが教育ではないんだろうか。足並みがそろえられない子だっているのに。それもまだ転校して3日目。

 お願いだからかわいがって下さい。大事に大事に少しずつ育ててきたのに。私はとても悲しい。


さようなら2002年4月10日 19時35分

 昨日うちに帰ってベタにエサをあげようとしたらなんか変。見当たらない。
 いつも一応どこかに青い体が見えていたのに。

 丸い花びん(と言ってもかなり大きい、無印の奴)を棚から下ろして上からのぞいてもいない。
 変だ。

 周りを一生懸命さがしたら、窓のサッシのとこに固くなって落ちてた。
 新しく背の高い水草を入れたのでダイブしちゃったらしい。
 もしうちにいたら助けられたかもしれないのに。

 ベタは空気でも呼吸できるから、結構長いこと苦しんだはず。体が乾くまでこんなとこに。日も当るアルミニウムの隙間で。

 可哀想なことをした。

 冬、水温低い中がんばってたのに。これからやっと夏なのに。


あれれ2002年4月4日 21時25分

 なんか文章力が落ちている気がする。やはり継続は力なんであるよ。


髪を切って鯛について知る。2002年4月4日 21時10分

 昨日ちょっと暇だったので、ぼさぼさ頭を切ることにした。ボブにしようと伸ばしかけで、後ろはダッグテイルになっている。ムースもワックスも持ってるがめったには使わない。寝癖ではない。でもなんか跳ねてるんである。
 染めるとどんどん明るくなるが、ちょっとこれはどうかなあというくらい明るくなってしまったので、染め戻しもしたいぞと。

 取りあえず「やっと暇になったんですかー」と嫌みを言われつつカラーリング。ここはうちのガッコの2期生がやってる店で、私がそこの職員だってこともばれてるのでどうしてもゆんたくは学校ネタになる。
 私の担当はお姉さんなんだが、珍しくお兄さんの方がついた。この人も2期生。で、どこから話が与太ったか忘れたが、釣りの話になった。もう止まらない。
 私も釣りは嫌いではないが、決して才能の方に恵まれておらず、全部おぜん立てされてるとか潜りながら短い竿でミーバイ釣るとかならともかくあんまり釣るのは上手ではない。
 「また魚にエサあげに行くの?」「あーそうだよ」というような会話さえ成立するのである。

 お兄さんは太公望であったらしい。で、まあ相づちを打ちながら聞いた話。

 台風の後にはうちの学校の近所ではにわか釣り師がわらわらと出るらしい。これは養殖場から逃げた鯛目当てなのだそうで。
 「逃げるんですか?釣れるんですか?」
 釣れる釣れる。でも急に来た台風の時ね。だんだん来るようなときは業者もわかってて、だから台風の前には必ずチラシが入ってるでしょ。
 「チラシ?」
 来る前に鯛みんなあげて売っちゃうんだね。だから必ず鯛安売りしてる。

 なるほどー。

 今度チラシを見てみることにしたデラシネであった。髪はいい色になったが、洗ってそのまま自然乾燥したらやっぱり跳ねている。なんなのよもう。


ちょっと悲しいや2002年4月4日 21時00分

 ライバル校から男子バド部の顧問が転任してきた。譲ろうかと思ってた男バドの顧問だが、色々あって譲らないことに決めて結構強く出た。
 その根拠を。

 私の方が実績が上。お互いいい生徒持ってたときはそこそこ勝ってる。去年一年通すと私の方が勝ってる。
 その人はびしびし系だが、うちの新3年はびしびしすると逃げる。私が脅しすかしたほうがいい。新2年が主になったら譲ってもいいかなとはちょっと思う。
 これだけ実績も残してるし、足りないとこはあるとはいえ一昨年より去年の方がずーーーーっとよくなってるのに何で私が変わらないといけないわけ?女だから?一緒に打たないから?それなら何で去年私を顧問にしたの?間に合わせのつもりだったんだろうけど、私にはそんなつもりなんかないんだからね。

 迷いはあるんだけど(現に体育のM子せんせと話すまでは譲るつもり8割だったし)ま、もう一年頑張るか、と。生徒達嫌がるはずねえ。わはははは。



怒ってはいたんだが2002年4月2日 20時10分

 いつものようにむちゃに忙しかった3月、更新をしなかったら何が起きたか覚えていない。

 取りあえず庭はまたピンクの花で覆われている。もちろん芝生部分である。
 クラスの子たちと別れたくなくてじたばたもした。転校して行く子もいたのでなおさらだ。
 書類とか研究授業とかで3日に一回ぐらい徹夜していた。
 教育相談終わらなかった。
 部もあんまり見れていない。
 取りあえず持った子たちはみんな合格した。よかったよかった。
 ベタはなんか浮袋がおかしいらしくて沈んだっきりである。大丈夫なんだろうか。
 いろんなことをきちんとしていけることに気が付いた。

 大人になりつつあるのかなあと思う。

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