2002年1月の怒り

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4つの仕事2002年1月31日 21時40分

 今私の中では4つの仕事が平行している。

 一つ目は部。気合いも時間も使いまくりである。根本的にただ働き、何が楽しくてやってるのかデラシネ。負けず嫌いだからだろうが。部の子達が可愛くて仕方ないので、まあペット飼ってるようなもんである。趣味だな。<自分に言い聞かせないとじっと手を見てしまいそうなのだ。

 二つ目は教科。主任でもあることだし、でもなんの役にも立ってないので先輩方に迷惑かけまくりだし。2月には研究授業もしないといけないみたいだし。みたいどころじゃないし。
 授業準備は嫌いだが授業は大好きなので割と楽しくお仕事できている。問題は週案がたまっているところか。復帰してから一度も出してないや。やばし。道具の片づけとかもしてないな。大やばだ。年間指導計画どころじゃない。

 三つ目が総合である。「総合的な教育の時間」ってのがあって、学年の生徒をクラスを崩してコースに分けて預かっている。うちのコースは誰も取りたがらなかったウーマクだらけのコースだ。ここに来てまだ資料がそろっていない班があるというていたらく。一応何とかさせることは出来そうだが今はちょっと焦っている。でも割と楽しい。何でかね。

 四つ目が学級経営。去年はこれがとても大変だった。今年は割と楽しているが、楽した分だけツケが来るのかもしれない。最近影が見える。あと2ヶ月だからこのままいける可能性が高いが、出来ればこの暗い雲をどうにかしてから先に進ませたい。
 ワタシから見ると裏も表もある普通の子が評価されていて、まっすぐでどうやったらこんな子が育つんだろう、って子が評価されなかったりする。わからん。でもこんな落ち着いたクラスは当分持てないんじゃないかな。
 うーむ、考えたらまだしばらくは可愛がれる部の子よりクラスの子かなあ。来週教育相談週間だし、頑張るとするか。関われる時間が足りないよなあ。

 他にも次年度準備とか事務系の仕事とかあるんですけどね、気にならないですね、あんまり。生徒あっての仕事って気がするからかね。催促されないとしないしね。いかんいかん。
 本当はどれか一つに集中したい。それが赦されないのがちょいと辛いか。どこにも生徒がからんでいるからね。どれも軽んじられない。体が5つぐらいあると良いんだが。


年間指導計画2002年1月31日 21時30分

 今日のほほんと職員会議に出ていたら不穏な話を聞いた。
 年間指導計画の提出が明日だと?
 知らんぞそんな話は。
 絶対無理だし。
 いつそんな話が?え、病休中?プリントに書いてある?(これは12月の終わりに貰った)知らないわよお!

 ああまた教頭先生に頭を下げるのですね。何度下げたら今年が終わるんでしょう。当分教科主任したくないわい。


男バドと女バド2002年1月31日 20時32分

 未だに女バドもそこそこ可愛がってるデラシネですが、色々考えてしまう今日この頃。

 見てればきつい筋トレにも耐えるようになってきた男バドだが、今日職員会議でちょっと遅く部を見に行ったらただへだらに打ち合いしている。今うちのバド部では打ち合いは禁止である。コートがもったいないからね。
 打ち合いすんなと怒ったらコートの外に出たは良いがその後が続かない。あんまりぐずっているので先日の女バド2年との会話を思いだした。
「女バドは部員40名、男バドは20名、なのにコート割りが同じって不公平じゃない?」
 ワタシもそう思いましたね、去年。
 女バドにコート渡すぞと脅したら動いちゃったので今日は女子にあげなかったが、今度こんなことがあったらコートをあげてしまおうと思う。だって無駄だし。

 女バドの子がいたのでいつものようにセクハラし、部室でのミーティングに向かったらミーティングで副部長がすねている。としか表現の仕様がない。
「先生、女子バドの味方?」
 いやさすがにワタシも絶句したね。味方とか敵とかないだろう。ワタシはどっちも公正に扱っていきたいと思っているわけで。(その割には男子甘やかしすぎてていかんと思ってるんだが)
 さすがに他の生徒から「そういう問題じゃないだろ」と言われて、ワタシも「敵とか味方ってどゆことだ?」と聞いてみたらへだれな答えが。
「男バドのことはこう、大目に見るとか」
 口げんかでは負けない私が思わず約一分間立板に水でののしってしまいました。大人げないなあ。
 周りの子が大笑いしてましたが。

 女子バドの子と話していたらなんか色んなことを言う。
「男バドって強いの?強いのは去年で終わりかと思ったよ」終わらせてたまるもんかと今練習しているわけで。
「先生男子には厳しいよね」あれ?そう?どっちかって言うと甘くないか?甘甘だろう?
「Y?誰それ?いたっけ?」・・・うちの副部長ですよ。仲良くしてくれよ。

 とにかく今週の日曜は休む。休むったら休む。嵌ってる自覚大有り。


クラス通信2002年1月27日 21時50分

 クラス通信が好評のようで。
 ちょいと最近忙しくて週一位でしか出してなかったら
「せんせー、通信出してね!お母さんとても楽しみにしてるの。ファンなんだって。通信無いと私がお母さんに怒られるんだよー、『お前がもって帰ってきてないんでしょ』って。出てないって言っても信じてくれないの」
それはMが普段プリントをかばんとか机に溜めちゃうからでしょう。
そこまで言われたら思わず出しちゃいますが。


寄るな触るな近づくな2002年1月26日 21時50分

 一昨年の子達はそばに居とけと言ってもふらふら他校の友達とどっか行っちゃうような子達で、試合前のアップに苦労した。
 去年の子達は自分たちでできる子達で私の世話までついでにしてくれていた。良いくらいに一緒にいられた。きゃわきゃわと女の子。楽。
 今年の3年生はまあ普通。張り付きもせず離れもせず、いざというときはちゃんとまとまって行動できていて、いらんときには遊びに行ったり、まあペースが割とちゃんと出来ていた。適度に心配、良いくらいに楽で楽しかった。

 なんなの、今のこの子達。

 試合の時もそうでないときもみんなまとまっているのは非常によろしい。他と交流が無いのは残念だと思うが、管理するという意味では楽である。2年から入部したもしくは活動を始めた子がほとんどで、他校とのなじみが無いというのも原因かもしれない。
 それにしたって私についてきて欲しくないんですけど。
 まさにめだかの学校というか、私が一人壁際に休もうとフロアを横切ると、全員その後にのこのこついてくるんである。
 鬱陶しいので反対側に移動するとまた全員でのこのこついてくるのである。なんじゃこりゃ。
 文字通り張り付いているというか囲まれているというか、試合もろくに見られないくらいで、冬だというのに暑苦しい。
 試合を見たくて一人離れているとわざわざ寄ってきて緊迫したラリー中だって言うのに話しかけてくる。
 もう返事するのが面倒になって一度説明したことに答えないでいると肩たたくとか腕引っ張るとかの実力行使。
 一年生なんざ人をひじ置きにするわよっかかるわ人の荷物は運ぶわ何なのホントに。

 私はこういうのは嫌いなんです。もうちょっとしっかり自分たちだけで行動できるようになって、顧問なんざ居てもいなくても良いようになって欲しいもんだ。
 せめてまとわりつくのだけはまじで止めて欲しい。疲れた。
 まあがんばれ。


新人戦覚書2002年1月26日 20時32分

 いやあ、負けた負けた。

 正直なところどこまでこのメンツで行けるか不安だったんだが、団体戦がはオーダーいきなり全力(と言ってもあんまり実力差が無いのでどうやっても全力なんだが)でさくっと決勝リーグ進出を決める。文字通りあっさり。

 私の読みもそんなに外れてないじゃん、と思ったが、個人戦がきつかった。
 一年生シングルスはまあ最初っから無理だなと思っていたので負けてもあんまり痛くない。一つ不戦勝が入ってたが。二人が逆だったら一番手は一つぐらいは勝てたかな。いや無理か。その程度。
 2の2の方がまともにルールもわかっていないようなのでやばい。このままならもう多分試合には出さない。

 代表ダブルスはあっさり勝っちゃったシードの一年生はいいとして、他がいかん。
 2年1番手はとてつもなく経歴が短く、一人が6ヶ月、もう一人は4ヶ月経ってないと言う促成栽培組で、まあベスト8行けりゃ御の字と思ってたらベスト16。相手が悪いよなあ。でも少しだけ格上とやって思ったのが、このペアのシャトルの優しさ。甘い。本人達は一生懸命なんだろうが、シャトルが放物線を描いている。もっと追い込まないと。
 2年2番手は試合を見るのもうんざり。格下相手に1ゲーム落とすし、やる気が見られん。格上相手との試合なんか足止まりっぱなしだった。もうあいつら試合に出したくない。相手に失礼だ。
 1年2番手(実質3番手?下手すると2番手)はコンビネーションが悪くて、しょせん1年生という感じだった。彼等にはまずコミュニケーションを教えなくてはいけないだろう。自責点で負け。

 代表シングルスの3番手4番手は育ちきらない2年生でまともにラケット握って実質8ヶ月ぐらいだし、仕方なかろう。それにしても一人はメンタル弱すぎてお話にならない。もう一人は思ったより良かった。安心して負け審させられたのも良し。
 一年生でシード取っちゃったもんであきらめて代表戦に出した子が一人。案の定2年生に気力体力頭脳技術の全面で少しづつ負けてて負け。これは悔しい。でも見えていたか。読み甘し。でも私にはどうしようもないことだし。
 一番きつかったのが2年1番手。シードも一応取って、調子も良かったんだがなぜかまともに行ったら第一シードの他所の子が同じ山に入っている。シード権大会に参加しなかったらしい。向こうは故障もあって、チャンスかと思ったがやはり自責点も多くファイナルで負けた。半端じゃなく悔しい。

 何でベスト8二人しか入らないのに団体戦ベスト4?やっぱ私の指導方法いや方針が間違ってんのか?だって全員育てたいじゃないか。シュミレーションしてみよう。他所にうちより強いのが10人いたとして、これで2校分。ダブルスベスト4分とシングルス2つ。他にシングルス強いのが二人(うちの一番手が負けたとこね)、離島に2人。これでもベスト8枠はほとんど空いてるはずだ。

 全く納得いかないんですけど。きーっ!


結婚式2002年1月25日 22時13分

 生徒達とM子先生の結婚式の話で盛り上がる。

私「だから披露宴じゃなくて結婚式。指輪交換とかするやつさー」
N「わかる、それバド部も呼ばれてるでしょ?」
私「あーしまった。忘れてた。そうなのよ、呼ばれてるのよ」
N「俺披露宴の方が良かったな、美味いもん食えるし」
Y「えー、ヤだよ結婚式。またジャージ着て踊ったりさせられるんだろ〜」
私&N「(大爆笑)だからー、それは披露宴だよー」

 沖縄の披露宴にでたことがある人しかわかんないと思うが、こちらの風習では「今日は余興の練習があるので」とさくっと帰るのは良くあることで。
 ジャージで踊るってのもわかんないと思うが、新郎友人の尻は定番になっているようで。始めて見たときは目まいがしたがもう慣れた。

 そんなY(私のクラスの子でバド部員)のボケはしばしば私たちのツボにはまる。少林寺をコバヤシデラと読む先行き不安な子である。


もうそういう季節か2002年1月25日 22時12分

 いきなり実家から電話がある。
「おかーさん、何?」
「いやね、もうそろそろ私の誕生日だから心構えをしておいてもらおうと思って」

 特にコメントはないです。リクエストのものを買いに行くことでしょう。そういう季節なんだなあ。


2002年1月24日 21時50分

 実験で試験管の中の液体の色を確認するとき白いものの前でやることが多いが(だから理科の先生は白衣を着ているんですね)白濁などを見るときは暗い色の方が見やすい。
 私は暗色の服が好きで黒とか焦げ茶ばっかり着ているのでこういうとき便利だ。
 胸の前に試験管3本並べて「ほら、一本目は濁ってるでしょ?」と説明したら。

「先生、見えんかった」
「なんでー、ほら」
「だって谷間でやるから、乳しか見えん」

 なるほど。中学生男子だもんな。

「じゃあ腹の前でやったら腹しか見えない?」
「うん」
「じゃあ今度から腹でやろうね」

 要するにそんな日々なんである。ったく。


ボス!2002年1月23日 22時02分

 部活動巡りでテニス部を回ったとき。隣りのコートで分離した先の学校のテニス部が練習していた。
 いるいる、去年の可愛い可愛いクラスの子達が!

 思わず足を止めたら気がついた。

「ボス!」

 声がそろってるけどお前ら私ボスなんかい。
 ちなみに去年髪は燃やされるわ殴られて泣くわ忘れ物大王で何にも期日内にもってこないわ(フィクションです)で大変だったたまごっちな子が少し縦に延びて人間の体形に近づいていたのにびっくり。


部活動巡り2002年1月22日 21時50分

 新人戦前なので部活動巡りが始まった。要するに先生達が部活動を巡って励ます、ついでに生徒と試合なんかもする、というイベントである。
 バドミントンはバレーやバスケよりは素人向けなのでゲームしてくれる先生が多い。ありがたいことだ。
 どうなることかと思った男子バド部も一応全勝で、縁起もいいと来たもんだ。じゃあ何で今怒っているのか。

 副顧問と二人で一年生下から一番手と二番手(つまり最弱である、多分女子より弱い。言い訳するとごく最近まで幽霊部員であった上、でーじ小さい)とダブルスやったんだが。

 言っとくが次は負けない。ああ悔しい。


理不尽な傷2002年1月22日 21時16分

 ワタシは丈夫な心を持っている。傷つかないわけではないが、それがどうしたという大まかさがある。大人というのはそういうものだろう。
 子供はそうでもない。心の柔らかさを覚えている人もいるだろう。邪険に扱われることも多い子供だが、それで傷つかないわけでもない。公正であることに一番敏感なのも子供だろう。

 中学生は微妙な年ごろだ。自意識が育ってくる時期なのに、まだそのプライドをどう扱っていいか自分で持て余す時期でもある。もうそういう時期なんだから仕方がない。
 まだ子供でもある。面倒くさいころで、だから面白くもある。

 傷つくことがいけないというわけではない。沢山傷ついたほうが丈夫になるし、どうせ外の社会に出たら傷つけられるのだ。

 もちろん指導の意味でかなりばっさりとやることもある。体罰禁止になった分舌が鋭くなくてはやっていけない。
 でも中学生はすでに悪いことは悪いってわかっているのである。だから正当な指導で傷ついたりはしない。
 傷つくのは理不尽な扱いを受けた時だ。いや、理不尽だと感じたとき、というべきなのか。

 私だったら傷つかない、多分その人は覚えてすらいない、多くの生徒はまたかと思うだけだろう。いつもその人がやっていることで、別にそれが間違っているわけでもない。ただ観察と愛が無い指導だっただけだ。生徒だって「自分の方が悪い部分もある」と言っているくらいだ。
 でもそのことで学校生活を送れなくなる子がいるとしたら。

 弱さも悪だとは思う。でも感受性の高さも悪なんだろうか。社会に出たらどうせ理不尽な思いを沢山するんだから、せめてここに居る間ぐらい夢を見せたいじゃないか。努力すれば叶うって。
 見てやって欲しいと思う。そして私も見ようと思う。あーなんかまとまらん。


面倒くさがっちゃいけないんだろうが2001年1月20日 20時17分

 3年が今頃転校してきた。うちのバド部の大ライバルだった子である。っていうかアイツさえいなけりゃ県優勝だった筈の子である。あと2ヶ月で卒業だ。わけが無いわけもない。
 可愛いうちの部の子がペースを崩さないといいんだが。まあこうなりゃあの子もうちの子だ。って言ってもそう簡単にそうは思えないよな。よりによって宿敵だし。
 ふと気がつけばうちのこの髪も真っ茶っ茶だし。何なのよ今更。

 一言言うなら、夏季大会の前に転校してきてくれりゃいいのにさ。あー、そうすると一人余るか。なんだかねえ、もう面倒くさいったらありゃしない。ワタシはあの手の暴れん坊は好きだよ。でも今じゃないほうがいいよなあ。ちゃーがんじゅーだなあ。
 秘蔵っ子ぐらいちゃんと監督しててよね、Kせんせ。

 案の上部に来る。やっぱすげえ。躾が効いたBig Catって感じだ。状況は聞いていたが一応本人にダイレクトにインタビューしてみる。
「あんた何で今頃うちに転校してきたの?あと2ヶ月じゃん」
「いやー先生に会いたかったから」
とまあこういうノリのまゆの無い子でね。面倒くさがっちゃいけないんだろうが。


ええええそうですとも2002年1月20日 20時16分

 うちの部は顔で団体メンバー選んでるんです。<やけくそ

 まあ、自信が出来てくると良くなるんだよね、顔。県大会出場とかさ。

 要するに生徒にまみれすぎて疲れてるんです。お前ら教員なんかに頼るな。自分で判断しろ。君たちの人間関係は君たちで構築しろ。大人のジャッジを当てにするな。本当にぎりぎりでだけ助けを求めろ。出来ることは自分でしろ。何でこうみんな甘ったれなんだ。ワタシは役に立つ働き者が好きなんだよう。
 さあ叫び終わったしまた頑張ろうっと。やだやだ甘ったれの世話なんか。早く育って欲しいもんだ。


誤字2002年1月20日 20時15分

 自分の書く文章が好きなので久々に日々の怒りを読み直してみる。

 誤字だらけ。

 そう言えば頭の中で漢字変換するとき、間違ったりしませんか?蒋介石と言われて、小懐石ってそれはどんな懐石料理?
 無いか普通は。


ロイヤリティ2002年1月17日 22時15分

 M先生が残した資料を読んでいて気がつく。最終的にはクラスの子達はM先生に懐いていたと思う。でも大変な時期があったようだ。

 職業調べのワークシート。「なりたい職業?@@だけど、何であんたにそんなこと言わなきゃいけないわけ?」
 道徳の感想文、ビデオを見せたあとの。「寝てました。見ていないので書けません。」
 集会の時、@組の担任になると自己紹介したM先生にブーイング、「私たちの担任がデラシネ先生だよ」

 それは間違ったロイヤリティだ。しかしその対象である私がどうやって指導したもんか。病休に入る前に随分語りも入れておいたんだが。この内容が最初の1ヶ月であることを今は取りあえず祈ろう(弱気)。

 M先生恋しい子もいるはずね。私はどうしてもウーマク構うから、お利口な女の子達とか、今日えんえんと給食台磨きさせられてた(してた)Hとか。それはいいことだと思うんだけど。
 あー、指導気が重い。


下克上2002年1月17日 21時00分

 うちの部が強いのはサークル上がりの経験者がいるからなんだが、その癖が抜けず今一つ突き抜けないのが課題だった。中学から始めた生徒もどうしてもコントロールプレーに偏りがちだ。そりゃ目の前に強いコントロールプレーヤーがいたら似てくるだろう。

 すでに私もバドミントンに関わって3年目なので、素人ってことに逃げずこう育てよう、というのが今年はあった。
 男子の場合、3年の夏で勝つには高さとパワーとスピードが重要なので、へだらなあの子達にも出来る程度には筋トレや走り込みもメニューに入れ。
 安定した技術も大切なのでノックもラケットワークもコートワークも毎日入れて。
 しょせんスポーツ、運動神経もある程度は必要なので、各学年団体メンバー分ぐらいはそこそこ育ちそうな生徒に目星を付け。一年なんかこっちから声かけて引きずり込み(生徒指導も兼ねてたけど)。
 ってなとこで病休。これは悔しい。3ヶ月M先生にまかせて1月からまた大ざっぱに指導していたらだな。

 一昨日、部長(2年サークル上がり)に副部長(2年になってから始めてラケット握った)が勝った。

 まだ部長の方が強いとは思うが、この方向で育てて間違いない、と確信した瞬間だった。
 自分に競技力がないのでやって見せることが出来ないのは私にとって大きなハンデだ。でもそのハンデはサークル上がりの子が埋めてくれる。3年生も協力してくれる。
 投げやりに、どんな子でも受け入れつつ、勝ってやる。

 いや問題は一杯あるのよ。幽霊部員大歓迎の我が部だが、この時期にスポーツしたことない2年生が入部してくるとか(舐められてるなあ)バド歴*年の部長がラケットに議って一年経たないやつに負けちゃうとか、一番手も二番手も1年生だとかここに書けないネタでももう何だか色々問題はあるのよ。
 でもそういう全部がうちの部で、まあ私は結構気に入っているというわけだ。
 先日の選手激励会でユニフォームをそろえていないのはうちの部だけだった。てんでばらばら色とりどりのユニフォーム。
 1年Yが「だからいいと思った」と。そうなのよ。それがいいのよ。薫陶行き届いているというか、染まってるというか、もともとそうなのか。1年はみんなそう言う。いいなあ。あー、でも団体ぐらいはそろえてもいいかね。勝負服として。
 それにしても我ながら脳みそ煮えてるなあ。一応予想しとくとうちは地区三位だね。去年あのチームで2位だったこと考えるとなんかねえ。うーむ。


ツボ2002年1月17日 20時55分

 ツボに入った曲で振り返る過去がきつい。今どうしてるのかなあとか、考えたって仕方がないのでまた生徒にまみれて暮らす。手に入らないものを追うことに意味はない。何度生きても同じことを繰り返すだろう。私が私である限り。

 でも人込みではっとすることはやめられない。


2002年1月9日 21時15分

 夏に蚊がいたって腹を立てても仕方がないが、何で今この部屋にいるの。


鍵を買う2002年1月8日 21時00分

 やっとちゃんと復帰し始めて、様々な問題が見えてきた。病休中に副部長が二人とも来なくなっていた。
 すでに「元」副部長である。

 一人はまっとうなM子先生とぶつかったのでしばらく自主休部していたらしい。その間に腐れてしまったらしい。まあそういうこともあるだろう。私の中では2年2番手に育てる予定の子だったので結構ショックだが、まあある程度は取り戻せるだろう。

 問題はもう一人だ。来なくなった、いや練習しなくなった理由は、盗難があったからだというのだ。ラケットもシューズも無いと。それぐらいで来なくなるというところも大問題だが、今年の2年はそういうキャラばっかりなので仕方がない。この子はもう多分ちゃんと来れるだろう。
 プレスかけたり好きに喋らせたりしながら情報を整理すると、ちょっとここには書けないぐらいの被害金額になりそうである。私としては約1ケース近いシャトルが痛い。

 誰が、ということも口さがなく生徒達は喋る。部室に出入りする人数は限られている。戸締まりもまともに出来やしない子達なので、外部の人間が入るということも考えられるが、やはりおそらく身内だろう。
 あれだけ愛した子達を疑わなくてはいけない。

 悩んだ揚げ句、シャトル入れにしているガーデンボックスの鍵を新しくつけなおすことにした。
 部費と相談してガーデンボックスをラケットとシューズ用にもう一つ導入しようとも思っている。
 部室に使っている教室を、こじ開けられないように締まり錠もつけることにした。

 帰り道、ホームセンターで鍵を物色していてとても悲しくなってきた。
 この鍵はあの子達を締め出すための鍵なのだ。
 あの子達のために確保したこの場所から。こんな形で。

 それでも買わなければいけない鍵なので、私は鍵を買った。


誘導尋問2002年1月8日 20時55分

 うちのクラスの掃除場所の男子トイレの大の方のドアが壊れていた。7日に見つけたんだが、根も腐っていてちょっと素人には厳しい感じなので、ちょっと見わからないようにして放ってある。
 話を聞いてみるととなりのクラスのTが蹴飛ばして壊したというのが通説になっているようだ。背の高い気の小さい暴れん坊なので、よく物を壊す。
 デマかも知れんと思いそっちも放っておいた。

 今日掃除後のチェックをしていたら、丁度Tがひょいと顔をのぞかせたので、取りあえずカマをかける。
私「T、あのトイレを見て何か思い当たることは?」
T、顔色が変わる。わかりやすいなあ。
私「あー、あるんだねえ」
T「俺壊してないよ」
私「あんた語るに落ちてるよ。誰も壊れてるなんて言って無いじゃん」
しばらく黙るT。もう面倒くさくなったので理科準備室に戻ろうとする私に追いすがってきて、
T「もう壊れてるのを蹴飛ばしたことがある!」
私「あんた今知恵絞ったでしょ」

 困った苦笑いしてました。

 一応軽く指導して、終わらせちゃったけどまあいいか。


寂しい。2002年1月8日 21時05分

 今日から3年は総合テストである。放課後体育館はストレス発散したいのか制服でバスケしてる3年生で一杯だ。バド部の子も沢山いる。

 卒業こそまだだけれど、もうあの子たちは私の手を離れたんだなあと。
 私は現役の子たちを見ている。いまはこの子たちが私の部員達で。
 あーやだやだ、物悲しいモードだ。


可愛いっちゃ可愛いが2002年1月8日 21時00分

 体育館の外でバスケ部1年女子たちと会う。挨拶して足は止めずにちょっとしゃべりながら通り過ぎる。
 すると20m向こうから声をそろえて叫ぶのだ。

「せんせー!状態変化は温度変化によって元に戻るー!」<今日の授業内容

 わかった、あんたたちがわかってんのは良くわかったから叫ばんでくれ。


諦めないで欲しい、諦めてはいけない2002年1月4日 20時30分

 下記の寝る子は学年一の問題児で、教師にも反抗的でなかなか大物であるという。生徒指導内容をここに書くのがやばいくらいのレベルなのでまあそうなんだろう。
 確かに困った部分もあるが、理科は好きなのか私には多少なついている。甘ったれで愚痴り屋だ。といっても大した接点があるわけではない。指導が必要な場面も教科担任の私にはたいして無いので、一応気をつけてはいるがそんなにやばい感じもしない。実験もそこそこやる。
 この子も満面の笑顔で出迎えてくれたうちの一人である。廊下のずーっと向こうから「デラシネせんせー!」と叫ばれたのにはびっくりしたが。(いや、良くあるんだがまさかこの子がやるとは思わなかったので)

 この子を含めて何人かの子はとんでもなく勉強が出来ない。ひらがなもやばい、というくらいのレベルなのでまあかなりだろう。
 もちろんテストは真っ白だ。2学期の中間でやっととにかく書いてある、というところまで持っていって病休に入った。
 この子だけじゃない。他の子だって、もうちょっとわかればその先を努力する気も湧くだろう。でも中一レベルの授業をひらがなやカタカナも怪しい子に受けさせたって、そりゃあ寝るだろう。
 私にはどうしようもないので、せめて一コマの中で「ふーん」と一回思わせることが出来るようにとは思っているが、まあこれも逃げだな。

 一年以上の学習不振はまず取り戻せない。すでにオーバーアーチバーであればもちろん無理だ。そうでなくても本人の強い意志と、誰か教育の知識のある大人の生活も破壊するほどの熱意がなければ無理なのだ。平たくいうとこの子たちは小学校では救われなかった。私たちが彼等の多分最後のチャンスである。

 バド部と自分のクラスでも結構手一杯だ。でもどうにか出来ないかと思う。私のクラスにもこれはどうしようかと正直迷っている子たちはいる。これもまとめてどうにか出来ないだろうか。
 あれだけ体育や行事にかける熱意があるならば、この子たちこそどうにかしないとだめなんじゃないか。
 でもいまの私に出来るだろうか。始めてから諦めたり投げたりするぐらいなら、いや、一度でも手をかけるべきなんじゃないか、私が見るべき子たちだってちゃんと目が届いていないかもしれないのに、でもあの子がいくらかでも温厚に話が出来る相手が限られている事を考えると。ことが学習だけにもともとそういうことが好きじゃない子がどこまでついてこれるのか。

 迷っているのだ。私一人では無理かもしれない。迷い続けている。
 それはあの笑顔への二重の裏切りだ。

 これは教師としてしなければいけないことであると知りながら、クラスや部を、そして生活を考えてしり込みしている。
 そして。趣味で教師をしている私は基本的にそのままの生徒を肯定する、その雰囲気がぐれ気味の子たちに気楽なんだろうに。
 迷っている。


復帰してからの授業2002年1月8日 20時10分

 思ったより板書の字が下手くそになった。
 と授業中に言ったら「え、変わんないよ」と言われた。

 補充のM子先生はしっかりしていたので週案とか書類がばっちり。
 あら真っ白、と思ってよく見ると自分が殴り書いたページ。
 多少反省。

 で、その週案を元に授業準備すればいいのに適当に準備していったらハズレ。
 仕方ないのでアドリブな授業。そのつけが明日来る。(大掛かりな実験)
 さあどうする。

 小学校の低学年ぐらいで落ちこぼれたまんまの子たちが、とうとう教科書やノートを持ってこなくなっている。
 わからないのですぐ寝ようとする。
 それを話術とネタで何とかしようとするとそこそこ何とかなる。
 思うままに進む授業。楽しい。

 あまりにも私語が多いクラスだけ足並みがそろっていない。M子先生も説教に時間をとられたと言っていた。まあそうだろう。
 今日ぶっ飛ばしで授業をしたがやはりうるさくなりがち。
 笑かしながら説教したら私の目を見ながらうんうんとうなずいている子が沢山いる。
 いいクラスじゃん。

 色んな意味でちょっと下手くそになってるし準備も十分じゃないけれど、やはり授業はとても楽しい。いい仕事だなあ。


復帰二日目2002年1月8日 20時05分

 生徒たちの「そうだったーーー!」という反応に大笑い。
 私は最初の挨拶がきちんと出来ないと何度でもやり直させるんだが、「もー一回!」という声かけに生徒が嬉しそうにどよめいた。

 こういうのも教師冥利というもんなのかね。


復帰初日2002年1月7日 20時00分

 生徒は可愛いなあと思った。

 私にとって学校の先生は興味の外にあったので、あんまり先生が病気だったりしても気にしなかった。

 久々に会った人に嬉しい、に近いものなのかもしれないけれど。心配してくれていたのねと。
 何百もの全開の笑顔。

 まあ怒りっぱなしだったけどさ。


レアアイテム2002年1月6日 20時50分

 我ながらもうちょっと大人になれと思うんだが。

 ついに出ました。「バステト神」。
 多少天下を取ったような気分。
 チョコエッグの話。


千客万来2002年1月6日 22時00分

 部にも復活して仕事もして、来る客を拒まずにいたらとんでもない量の客が来た。
 冬休み終了直前である。デラシネ家デビューの客も多かった。
 一人で片づけとか仕事とかに使おうと思っていた二日間であった。
 今この瞬間は結構疲れていて、正直に言うと今回ってる洗濯物が終わったら墜落睡眠するであろうこと間違いない。
 お客が片づけることになってるので家は綺麗だが、色々片づかなかった仕事が山積みである。
 食糧計画も大変だ。なんか出てこないものもある。<人に片づけてもらうから

 でも私はまた多分懲りずにお客をもてなすんだろう。なんなのかね。業かね。
 まあ当分は部で忙しいから受け入れる時間もあんまり無いけど。
 わけわからないがそれはそれで寂しいデラシネであった。


人の部屋2002年1月5日 1時10分

 お客が帰った途端自分が客になって人のうちに飲みに行った。9月ぐらいに実家を出て一人暮らしを始めた人のうちで打ち上げがあったのだ。(ゴルフコンペのやつで、私はゴルフは嫌いなのでしないがなんか呼ばれたので。家近いからかね)

 私はこの築25年以上のぼろ貸家がとても気に入っているんだが、やっぱ新築は綺麗だ。
 きれいさよりも心を打たれたのは、収納や造りが割と考えてあるところだった。
 我が家も収納は多いんだが、なるほどこういう形もアリなんだな、と思わされるシンプルさであった。

 特に全然家具が無いのでどかーんとなんにもない空間が広がってるとこが羨ましかった。

 ダイニングテーブル、やっぱりあると便利だし、ソファ無しでは暮らせない。客が来たとき用に座卓も必要だ。
 でもホントはなんにもないのが一番かもしれない。

 気持ちいい部屋であった。


読める2002年1月4日 20時10分

 朝遅く起きたら友がデジカメのデータを消していた。恐縮した揚げ句に大分働いてくれてたので家が綺麗になっていた。

 手荷物やお土産を送る友が荷造り。郵便局に行って送ったらこれぐらいの時間、込み具合や手間取ることも考えてデッドラインは11時と伝えた。案の定11時には出られない。本当のデッドラインは多分11時45分ぐらいだろうなあと思っていたら42分まで出られなかった。

 結構なピンチである。ちなみにこの読みには郵便局に行く時間は入っていない。
 送るのは私が後でやることにしてとにかく彼女を空港に連れていく。

 15分前であった。

 読みぴったりじゃん。勝った気分である。


観光!疲れた2002年1月4日 2時10分

 さて、許田の道の駅でお土産なども買い込み、帰りながら「ハリー・ポッターでも見たいねえ」ということになり一路北谷へ。
 行き当たりばったりな私たちには珍しく電話で時間と座席状況まで確認する周到さ。
 10時の字幕版を目指して久々に下を走った。

 着いてみたら売り切れてやんの。吹き替えも。がーん。

 悔しいので観覧車に乗る。あれはなかなか凄い。考え尽くされているというか。
 座ると眺めのいい側の席の窓がスモークになっているのである。
 深い欲望の肯定ぶりに脱帽。

 ちなみに私は高所恐怖症で。

 その辺の店なんかも冷やかして、せめてポップコーンでも買って行こうとしおしおと7プレックスに戻りさて帰ろうと丁度窓口の前にいたときに放送が。

「9時20分の吹き替え版のハリー・ポッターと賢者の石、3枚のキャンセルが出ましたので御希望の方は窓口までおいで下さい」

 友と目を見合わせる。振り返って叫ぶ。「ハリーポッター大人二枚」
 指定席で見ちゃいましたよ。

 私は読んでたのでいいんですが、友は読んでなかったので結構話が繋がらなくて困ったようだ。それも一興。

 で、帰ってきたらこの時間、と。
 明日飛行機に無事乗せられるんだろうか。


観光!ネオパーク2002年1月4日 2時05分

 だめだ、三カ日のネオパーク。

 ネオパーク的には掻き入れ時なんだろうが、あんまり人が多くて=エサが多くて、愛するカンムリオオスオリドリには遊んでもらえないし(一羽だけ食べ過ぎて飛べなくなってる奴に触れたが)他の鳥も地面のでおなか一杯で食べやしない。
 普段はパンが人気なんだが、もう飽きたと見えてペレットエサしか食べないし。
 おさるはカゴの中に入れられてるし。
 あの恐ろしいほどの食いつきで私はあんまり好きじゃないラマとヤギのゲージですらニンジンが落ちていた。

 まあ良かったことといえば、普段はとろくて他のにいつもエサをとられているタイコモチとか何とか言う奴とかサケビドリにエサをゆっくりあげられたことだろうか。
 あとフェレットがぐったりしてて抱き放題だったのも嬉しかった。うさぎには拒否されてしまったが。

 今日一番の収穫は、えさやりをしている3歳児ぐらいの女の子が、エサのパン切れをじいいいいいっと見た揚げ句、自分の口に放り込んじゃったとこを見れたことだろう。
 我慢できなかったんだねえ。

 そして今日もおっぱ牛乳のソフトクリームは売り切れであった。


観光!その12002年1月4日 2時00分

 すでに昨日だが、寝坊したため朝の年取りも大まかに済ませ北に向かう。いわゆる本部観光である。
 天気もまるで私たちのためにあるような晴天。

 いつものようにまず中山そばに行き昼を食べながらルートを決める。友の希望と私の趣味で藍風>ダチョウランド>今帰仁城址>ネオパーク>森のガラス館と名護パイナップルパークに決定。
 まあ思った通りには行かない。

 藍風では藍染体験が出来る。私は結構はまっている。私の中で友の旅のテーマは工芸なのでこれは外せない。
 出来はまあいつも通りで、要するになんかこう納得いかないというところであった。冬は温度が低くて染まりが薄くなるらしい。冬する人は4クール以上することをお勧めする。

 ダチョウランドは今回初。子ダチョウをわしっと抱き潰したくて行ったんだが、子供がいない。がーん。
 でもエサ食いは良くて大きい生き物が好きな私には結構楽しかった。振る舞い酒も出てたし。思わずダチョウハムを買ってしまうがこれは大失敗。どう失敗だったかはぜひ買ってみることをお勧めする。

 時間が足りなくなってきたので私の独断で今帰仁城址はパス<結構酷いかも、ネオパークに向かう。
 だって寒いんだもん、今帰仁城址。


玉泉洞2002年1月2日 20時50分

 昼過ぎに出ようと思ったがソファで友が寝てしまったので2時半まで放っておいた。その後出たらまあなんてこった、回りきれない。

 観光客時代に玉泉洞には5回以上行っているのでちょっと舐めていた。そしたらちょいと生まれ変わっちゃっていたのである。
 なんか見るとこも多くて、体験とかもやってて、玉泉洞自体も広くて、エイサーとかもみて、結構頑張って見たんだが(友人なんかハブとマングースを見たくて走ったりもしたんだが)見切れなかった。

 次で敗者復活したいもんだ。お勧めです。


初詣で2002年1月1日 21時50分

 駐車場に入れようとしたら通路の入り口に3ナンバーが止まっていた。丁度ドライバーが下りたところだったので入るそぶりを見せたら脇をすり抜けて入れとジェスチャー。

 私の車は3ナンバーで、どう見てもそのすき間は通れない。だいたいそんな鋭角曲がるつもりでハンドル切ってない。
 無理だといえば動かしてくれるかと思ったらそのままそいつは行ってしまった。

 ちょっと暴れん坊な頃の私だったらもう相手の車にぶつけているが、中の駐車場が一杯ということもあるだろうと自分に言い聞かせちょっと遠いところに車を止めに行く。

 さて、詣でようと戻ってきたらまだその車はそこにある。おいおい「ちょっと参拝」のために止めたんじゃないのかよ。

 ちょっと待て、駐車場空きあるじゃん。マジかよ。10円玉だろうこれは!

 ぐるぐると怒りながら参拝を済ませおみくじを引こうとしたらそのドライバーが売り子でやんの。もちろん買わない。
 幸い革のブーツを履いていたのでもうこれで車に蹴り入れたろ、と心に決め縁起物を見てみるが腹が立ち始めると何もかもに腹が立つ。
 夫婦箸の大きさが違うことにすら腹が立つ。

 腹立てまくるデラシネをなだめるためにお守りを買ってくれる友。
 一応収まるあたりが私も大人になったもんだと思う。

 そんなことをしている間に幹線道路横付け路駐の白塗りベンツの人たちがさくっと参拝を終わらせて帰っていった。

 あの人たちには負けた気がする。(正確には勝負をすべきじゃない方々だが)


Rの館2002年1月1日 21時00分

 懲りないたちなのでまた紅型に行った。予定していた先日は国際通りで物欲に火がついてしまい、時間が無くなってしまったのだ。

 今日は二人ともコースター。私は違う魚柄、友人はブーゲンビレア柄である。

 この体験の面白いところは、ちっとも思い通りにぼかしが出来ないところと、ウチに持って帰ってノリを落とすとあんなにはみ出しまくり色にじみまくりだったブツがあらびっくり♪結構いい出来じゃないの、となるところである。
 今こうやって打っていてどこが楽しいんだろうと思ったが閑話休題。

 Rの館という紅型工房とお土産屋さんと体験やるとこが合体したような場所に行って、ぼかしまでやってから持ち帰りたい旨伝えて席に着く。
 友はともかく私は友人が来ると大抵寄るので勝手知ったる他人の店である。
 そこに忍び寄る白い影。仮にLさんとして置こう。上品そうなおば様系の職人さんだ。多分私たちの担当。

L「ホントはね、ぼかしは時間もかかるしやっていただいてないんですよ、この間はね、やっぱりしていただきたいからしていただいたんですけどあの後上に怒られちゃって。会社の方の方針がそうなんですよ。今日はね、ごめんなさいね、ホントに。お客さんがやってると他の人もどうしてもね」

 省略するとぼかしも持ち帰りもだめらしい。Lさんがいなくなってから思わず大きな声で「ぼかし出来なかったら塗り絵とおんなじじゃない、それじゃ二度とやらないよねえ」と友人に話しかける。<大人げない、でもホントにそう
 もう始めているので返品も効かない。あきらめて作業を進める。

 友と、今日はぼかし出来そうもないね、残念だね、とこれは小さな声で話しながら塗り絵と言った割にはやっぱりばりばりはみ出した悲しいコースターを目の前にしながらていねいに仕上げる友人のを見ていたら、なぜか目の前にぼかしセットが。

 ぼかしセットを持ってきてくれた職人さんをSさんとしよう。ソバージュでLさんよりは若そうなおばさん。
 Sさんがコースターも乾かしてくれた。<乾かさないとぼかすときにじむ

 これはひょっとしてぼかしていいってこと?ほんとにやっていいの?気の小さいデラシネが周りを見渡すととなりのお客さんもぼかしている。

 友と目で会話するワタクシ。「イケる?」

 なんか落ち着かない気持ちでぼかしを始めると、Lさんが寄ってきて話しかける。
 そこに走り寄るSさん。伝票やお持ち帰り袋も用意している。

私「あのー私たちこれやっていいんでしょうか?」
S「ぼかしまでしてお持ち帰りですよね、それとも私がやりましょうか?」
私「いえ、やりたいんですが・・・」
S「ホントはぼかしはやってないんですけどね、教える時間とかもかかりますし。でもいいですよ、じゃあやり方教えましょうね」

 どゆこと?

 Lさんは目も声も笑ってないけどイントネーションだけは接客モードで話しかけてくるし、Lさんが私たちに寄ってくるとものすごい勢いでSさんが寄ってくるし。

 これってひょっとして縄張り争い?デラシネ怖いです。
 この手の女の戦いはマジ苦手です。
 あああ、後ろの方でLさんとSさんが小声で言い争っています。
 私のためにケンカしないでええええ、という気持ちで一杯です。

 友はぼかしに集中しまくりなので全くそんなことには気がついていません。デラシネぴーんち。

S「お会計は別々ですか?」
私「別でお願いします」
S「お客さんは2回目ってことですので、私の権限でこのお値段にさせていただきましたから」

 あ、ちょっと安い。

 でもでもこれで鉄板。


 少々気まずい思いで作業を終え、友が紅型を買うのにつきあう。
 私は観光客時代にもう散々この手のものは買ったので今更買わないが、体験とは言えやってみたので職人芸の凄さが少しわかる。ので結構面白い。
 売り子さんが寄ってきて説明を始めた。

売「これは筒で職人さんが線描きしてから紅型で染めたもので、職人さんの個性が出てます」
私「おねえさんはこういうの見たらどれがどの職人さんのかわかりますか?」

 売り子さん曰く。
「うーん、全部はわかんないんですけどね、例えばあれなんか20代の未婚の女性の職人さんのなんですけど、流れるような感じでしょう?(華やかで内側からのぼかしが滑らか。内側からの方がずーーーっと難しい)こっちなんかはとても独創的で(あんまり紅型っぽくない色柄で良かった)あっちのなんかは@@展で入賞するような作家さんで、月にに3回ぐらいしか工房に来ないんですよねえ」

 話は続く。
「職人さんはあれを染めた未婚の人が一人と、あと3人結婚してる人がいるんですよ」

 一応説明すると南洋ではまず人を結婚してるかしてないかで区別するのである。といっても私の知ってる南洋はここ沖縄と南太平洋の島国だけだが。

「職人さんにとっては作品はそりゃあ可愛いもので、売れると嫁に行ったみたいな気がするって。でもどうしてかわからないんですが、この未婚の人のが良く出るんですよ。なかなか売れない人のもあってねえ、売れないと嫁にいけない娘みたいに気になるみたいで。そういうのが売れると私たちも嬉しくてねえ、作家さんのところに売れましたよ!って言いに行っちゃうんですよ」

 この話を聞いているときの売り子さんのトーンをちょっと私には再現できないんだが、売れ方にムラがある話をしているときの売り子のお姉さんからはさっきの縄張り争いと同じ匂いがして。

 怖いですRの館。でも面白いとこだからまた行きます。


それ誰?2002年1月1日 20時50分

 友人と話しているとやたらこうやって聞いていることに気がついた。特にTV見てるとひどい。
 年末のワイドショーとか紅白見てるときなんかほとんど会話にならない。

 紅白で。

友「加山雄三の上原謙への仕打ちを考えると今一つ好きになれないんですよ」
私「上原謙って誰?」

友「えなりかずきって池乃めだかに似てますよねえ」
私「池乃めだかって誰?」

友「花木京が見れたから今日は満足ですわ」
私「花木京って誰?」
友「今見てたじゃないですか、Re:Japanの・・・」
私「Re:Japanって何?」

私「ガクトってTheYellowMonkyのボーカルの?」
友「・・・違います、マリスミゼルの人です」
私「あれ?るろうに剣心の主題歌歌ってる人だって語られたような記憶が」
友「全然違います」

私「西城秀樹・郷ひろみ、あと一人はだれ?」
友「野口五郎じゃないですか」
私「その人はどうしたの?」
友「若い女と結婚したりしてます」

 ワイドショーで。

私「この人は見たことある」
友「それはそうでしょう」
私「(隣に座ってる松嶋菜々子を見て)えええ、これ反町隆史?」
友「わかんなかったんですか?!」

 これはついさっき。

友「この人は知ってますか?」
私「河内音頭を謡う人は一人しか知らない。でもその人かどうかもわからない」
(菊水丸という人だったらしい)

友「おお、すえなりゆみが出ている」
私「すえなりゆみって誰?」
友「それは知らなくてもいいです」

 要するに私は芸能ネタを全く知らず、友人は関西人だということだろう。


あけましておめでとうございます2002年1月1日 1時50分

 昨年は大変お世話になりました。本年もよろしく御指導下さい。

 年賀状、今年は書かなかったんです。書きたくなかったんです(社会人の科白じゃないな)。
 頂いた分には返事出してます。ちょっと遅れますが。
 だいたい毎年紅白見ながら書くんだよ、あたしゃ。

 年越ししたところで一応除夜の鐘を突こうと並んだ。煩悩と苦しみの多い去年の心の垢を落とそうかと思ってだな。
 でも人が鳴らすの見てたら「大きな音で」という煩悩が私を支配。そんな煩悩につかりながら突いてしまった。
 まあそんな年明けで良し。


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