2001年9月の怒り

30 へたれる
27 管理
26 知能と無能
21 いざというときこれだ!
20 こういうときもあるな。
19 どこに行ってしまったんだ
18 クラスの雰囲気
14 16号迷走
09 ちょっと前の会話
09 再読
07 オレンジ軍団!
07 携帯さまさま
05 携帯
04 把握出来ん。
03 ラッキーのおばさん。
02 負けない方法
01 休みボケ

Back    

へたれる2001年9月30日 8時00分

 午前3時に帰ってやる気皆無で昼過ぎまで寝て、台所だけは片づけて、だから料理するのも嫌でうだうだと漫画でも読む。
 もうすぐ定期テストなので今日は仕事するために空けておいた日だ。

 でも何にもしない。

 生産的なことはなんにもしない。
 前向きなことも何もしない。
 昔だったら家に隠って布団かぶって寝ている無為な時間。
 とにかくうんざりするまで何もしない。

 これが明日への活力となることを信じて。

 (こんなむちゃな色は今日だけの予定)


管理2001年9月27日 10時00分
 私は管理されづらいタイプだった。その私がこんなふうに考えるようになるとは思わなかった。

 生徒指導は、事前指導が一番楽だ。例えば掃除の時間に隠れて煙草吸ってる生徒がいるのは、その場所や生徒がいるべき場所の割当の人(まあ掃除当番の監督ってことですね)がいないからってことになる。
 いないことはないはずだが、出張などで穴が空くことはある。今日はそれだったらしい。

 正直なところ、最近私は自分のクラスの掃除指導をしていない。しなくてもまあ時々視界に私がいれば一応みんなやるからだ。例外は2名。楽である。こんなクラスもあるんだなあ。
 じゃあ何してるかというと、怒っているのだ。
 いつもは怒らなくちゃいけないと思って怒っているが、今日はもうぶち切れた。

 私のクラスは階段側で、これは自分で希望した。交流の多い階段は生徒がたまりやすい場所でもあるので、両端の外階段側は生徒指導の効く同僚が持っている。
 メンツから言って次にキツイとこは私が持たなきゃかな、と思って中央階段脇の教室を取ったのだ。
 今日は出張の人が多くて、管理が必要な生徒が全部野放しだった。きっとこれ読んでる方の中にもいるでしょう、掃除しないで逃げてた人。逃げてるだけならまだしも(いや、他の生徒に不公平なのでだめですが)その隙に本当に悪いこと、警察に行くべきことをする子たちが全部。
 丁度学年職員朝会で、生徒たちに妙な動きがあるから気をつけましょうね、って話をした直後だというのに、もうとんでもない。

 さすがに私のクラスには来ないんだが、端から端に移動するとき私のクラスを通るわけだ。その度にそれぞれのクラスに追い返す。
 幸い朝の話があったせいで3年生は今日は来なかったが(ちなみに来ると私より体重が30キロ以上重い生徒の首根っこ捕まえて階段まで捨てに行くのである。まじでうんざり)その分1年生がもうずーーーーっと。
 もし返された先に誰か監督がいてくれれば、その子たちは足止めされるはずなのだ。去年私のクラスにも逃げちゃう系の子がいたが、逆にその子ばっかり監督していたくらいだ。その方が後の生徒指導より楽だからだ。
 今日は誰もいなかったらしい。
 隣はいなかった。ここはいないことの方が多いので実は私はかなりきている。でもうんと年上の人なのでちょっと難しい。一応今日泣き言のふりをした文句を言ってみたが、
「でも思いっきり怒ると疲れちゃうからねえ」
だそうだ。わかった。私が管理しよう。その方がまだ腹が立たない。
 もう一方の隣は出張だった。ここは普段は割といいんだが、管理しなくちゃいけない生徒の数が多いので時々逃げてくる。今日は逃げっぱなしだった。

 すぐ隣のいつもいないところはともかく(どうせいつも見ているので)ちょっと離れた隣りや、特別教室に行くはずだった生徒がうろちょろしてるなんて思いもしなかったので、場当たり的に怒っていたら、たった20分の清掃時間に80回ぐらい指導することになった。15秒に1回。うんざりである。

 やはり怒るにはビジョンを持たないといけない。どこに返して誰が預かるかをちゃんと把握して、穴を見越して指導しないといけない。

 と、自分をなだめているが、本当はすっごく怒っているのである。全部とかじゃない。せめて掃除の時間ぐらいちゃんと生徒管理してくれ。お願いだから。誰も生徒怒る仕事なんてしたくないんだから。

 全然関係ないですが、なんか今の私のクラス、いいんですよ。今日の授業とか、もうなんかこう、とーーっても良い反応。うるさいのとは違う、新しい知識への素直な感動の声が、とてもいい。
 そして打てば響く。まあ今のところ、ですが。級長の誕生日でした。


知能と無能2001年9月26日 9時00分
 何と私は無能なのだろう。

 自慢だが私は頭が良かった。正確に言うと知能指数が高かった。
 IQというのは年齢よりどれくら早く育ってるか、というのをはかるのが普通なので、要するに早く育ったわけだ。
 考えたら幼稚園では後ろから3番目だった背の高さ、高校ではかろうじて真ん中より少し後ろ。要するにそういうことだ。

 早く育ったので人より知識を吸収する時間は長かったはずだが、あんまりろくなものを吸収せず今の私がいる。
 ちなみに早めに育って努力というものを学ばなかったので、人間として限りなく半端で大まかである。
 生まれて初めての努力、生まれて初めての勉強は25歳の時だったって位なのでかなりである。閑話休題。

 さて、勢いと周りの方の助力でいつも何とかなってしまうので、私はつい仕事を引き受ける。
 最近は体力に自信がないので出来るだけ断るようにしているんだが、そういう時に鍵って断れない相手から話が来る。
 これがこなしきれない。

 一つ一つはまあ大したことが無いんだが、とにかく時間がとれないのだ。
 時間の使い方が半端じゃなくへたくそだ。
 沖縄のオバアは「約束は一日に一つ!」だそうだが、私もそうなのだ。

 見ているとぱりぱり働ける有能な人は、一日を細かく時間で割っているように思う。
 この仕事の時間、あの仕事の時間、遊ぶ時間。全部が一日にある。分刻みの人もいる。

 私はそれが苦手だ。

 すき間の時間を使って事務処理なんてとんでもない。
 今日は@@の日、となったらそれしかできない。家事の日。仕事の日。接客の日。仕事の日だって授業の日、部活の日、クラスの日。
 単位は時間じゃなくて日なのだ。

 結果として、仕事も速いしまあそこそこ何でもやればやれる私は、とてつもなく無能である。
 いっつも仕事が滞っている。一山越えてまだピレネー山脈が待っている。
 でももう寝るのだ。今日は寝る日。


いざというときこれだ!2001年9月21日 10時20分
 今日は作品展の締め切りの日。私より倍忙しい先輩が持っていってくれることになっていたので、のほほんとしていたら、何と彼は3時間目終わったら出るという。
 まだ一年の生徒持ってきてないんですけど(書き直しさせていた)。放課後だとばっかり思っていたのだ。

 仕方がないので置いていってもらって、先に先輩だけ会場設営に行っていただいて、私は駆け回る。放送も入れて持ってこさせる。取りあえず給食前に揃った。
 給食は丸のみして、作品票をワードでぺけぺけ打って、8割終わったところでいきなり強制終了。
 泣きながらもう1回打っていたら、また同じところで強制終了。同じ生徒の打ってるとき。
 もう泣いても間に合わないので汚い字の手書きで悲鳴を上げながら大急ぎで書いて、でも30分遅れた。
 今日唯一の空き時間が5時間目でよかった。いやほんと。
 でなきゃできなかったね。

 何がむかつくって、今日壊れたワードは、私のじゃなくて学校のだっていうことだ。あたしに恨みでもあんのか、おい。


こういうときもあるな。2001年9月20日 9時20分
 今日出張先で、例のノート編集委員の人に会った。

「T(私の同期。会った人の同僚)から入院してるって聞いて心配してたよー、
 でもN(別の編集委員、うちの地区のまとめ役)がパソコンが壊れたから来ないって聞いてさ、
 おい壊れてるのは体じゃないのかって」
おいおいおい。
「で、ひょっとして頭のコンピュータが壊れたのかって」
おいおいおいおいおい。
「なるほど、どっちも壊れてたんだ」

 そういや車も壊れてたな。

 一応声を大にして言うと、私元気です。元気じゃないときは学校休むことにしてますので。


どこに行ってしまったんだ2001年9月19日 10時20分
 実は研究会みたいな仕事を受けてしまっていた。教科ノートの沖縄県版を編集する仕事だ。夏休みがあるからまあなんとかなるかも、という甘い見通しで受けたわけではない。
 どうしても断れない方を通して依頼があったので、
「部が九州に行けなかったら受けます」
と答えてみたんだが、まあ決まっちゃったのである。もちろん夏休みは無かった。

 まあ夏休みがあっても同じだったろう。小中高大学と宿題したことロクに無くて、どうしてもやらなきゃいけない奴は友人と一緒にか、期限ぎりぎりに寝ないでやった。
 今回もこれである。九月に入ってから仕事を始めた。

 思わぬ入院なんかもしてちょっと遅れたではあるんだが、一応3割位やって、提出の前日(つまり一昨日)夜中の2時までやってとにかくまとめた。
 このラストスパートがいつも私を救ってきたのよ、ふふふ、とか思いながらCDーRWに焼こうとしたら、飛んだ。というか、動かなくなって一緒に立ち上がってたワードが落ちた。
 もちろんCD-RWも焼けてない。ブランクメディアとしても読まない。でも何も入ってない。

 ワードは助かることが多いと言う話なので取りあえず開けてみる。無い。
 テンポラリーファイルも開けてみたが無い。
 ずっと作業していたファイルにも、最初に保存した分が入っているだけで、入っていない。
 保存してた名前で検索をかけてもだめ。
 ここで諦めて学校に持っていって、詳しい方にみていただいたら日付で検索してくれたがこれもだめ。

 私の労働はどこに行ってしまったんでしょうか?

 というわけで泣く泣く今、手で全部起こし直しています。
 昨日これを書けなかったのは、あんまり腹が立ってて冷静になれなかったからです。嫌いだWin。  


クラスの雰囲気2001年9月18日 9時40分
 なんか、こう、授業やりやすいクラスとそうでないクラスってある。もちろん私たちはプロなので、どんなクラスでもあるレベルの授業をするんだが、でもやっぱり違う。
 担任の薫陶が行き渡ってるからとか(クラス経営がうまくいってる、というやつですね)乗りがいいとか、静かなまじめなクラスがいいというわけでもなくて、なんていうかこう、ある。
 やりやすいやりにくいという言葉は妥当でないかも知れない。やってて楽しいクラスと、そうでもないクラスがあるのだ。

 危なくて実験できないクラスというのもある。閑話休題。

 色々な学校で、いろいろなクラスを教えてきたけれど、結局クラスの雰囲気って生徒集団の個々の構成員によるんだなあと今日は思った。
 担任に染まる、というのもあると思うが、一番大きいのは集団のカラー。特に実験じゃない、普通の授業の時はそのカラーが極端にでる。
 これはいいクラスだなあ、というのって、あるね。これは嫌なクラスだなあ、というのは無いけど。

 うちのクラスがいいクラスだといいんですが。私にはいいクラスなんですけどね。他の先生にはどうかなあ。心配。
 ちなみに去年のクラスは、楽しかったけど授業という点では最悪でした。濃ゆ過ぎ。まあそういうこともありますね。小学校からのクラス分けだから。


16号迷走2001年9月14日 16時00分
 壊れるときはみな壊れる。私も壊れていたが車も壊れていた。それを今日退院がてら取りに行ったとき。

「先生、授業大丈夫ですか?」
(私が車を預けていたのは部の子の保護者が経営する修理工場)

 心の中で高笑いする私。
 また自習課題無駄になっちまったわよ。

 私は事前検査からあわせて6日間年休を取ったんだが、そのうちなんと三日半!台風で休校でやんの。まさに鬼ヅモ。

 というわけで、そうでなくても短い沖縄の冬休みはもっと短くなってしまうことでしょう。夏休みだって普通にしかないのになあ。私には嬉しい台風16号でしたが。戻ってまできてくれたし。


ちょっと前の会話2001年9月9日 21時15分
「先生入院するから」
「先生、糖尿?癌?みんなで話したらどっちかだってことになったんだよ!」
これはクラスの子。それも級長。今日、クラス会で。

「先生、死ぬの?」
「そうだね、いつかは必ずね。」
これは部の子。練習中に、いきなり。

 まあとにかくいつかは誰もが。でもそんなに近いことではないよなあ。
 やっぱ近くなったら弱気になるんだろうね。まだまだだな、あたしも。


再読2001年9月9日 21時12分
 入院するのに本を選んでいる。考えてみるとこうやって準備を自分で出来る入院というのは初めてだ。
 初めての入院は小2だった。すべり台の砂場で、滑ってきた子に足を取られてこけたら頭の行った先が砂場のへりのコンクリートだったのだ。母曰く
「なんか人だかりがしてるから何かと思って見に行ったらデラシネが倒れてるじゃないの、びっくりしたわよ」
びっくりしている場合ではない。
 次の入院は慢性虫垂炎の時で、薬を貰いに行ったら
「今日暇だから切りましょうか」
ええ切りましたとも。それもインターンに切られて大きな傷がいってます。これは高2.
 その次は海外でマラリア。あんまり一般的じゃないし日本語で表現できない。
 その次は帰国してマラリア。このときは医療過誤で死にかけ。
 考えたら結構入院多いかも。救急車にも何回か乗ってるし(付添も多い)。閑話休題。

 どうせちゃんと読む気力なんて出ないのはわかっているんだが、活字中毒なのでどうしても本が手元にないといられないのだ。
 で、お決まりの読書アリ地獄にはまっている。
 そこでちょっとしたことに気がついた。視点が変わっている。

 こちらを読んで下さっている数少ない皆さんはお分かりと思うが、私はとても元気である。今年は無駄口こそたたかなくなったが、結構ぶんぶん暮らしている。
 でもこうやって検査を沢山して、病気も見つかったりして、なんかこう無駄に死が身近なのだ。
 そんなとき本を読む。今車がつぶれていて買い物ができないのでうちにある本だ。少なくとも一度は読んだ本。
 感情移入するところが違う。思ったよりたくさん物語の中に似たようなシチュエーションは出てくる。そんなとき、見送る側から見送られる側に視点が移った。
 まあただそれだけのことである。


オレンジ軍団!2001年9月7日 21時12分

 負けたといえばオラニエ。来ないんですね。もうキャンプ地も決まってたのに。
 昨日から煮え煮えです。ココロが痛いです。


携帯さまさま2001年9月7日 21時10分
 今日病院へ行った。すったもんだあった揚げ句に検査入院することに決めた。入院すると迷惑もかかるし、何より生徒たちから目を離すのがきつい。私が、きついのである。
 まあもう決めたことだ。それはいい。さて、事前検査とその他の検査をいくつか終え、帰ろうと車に乗ってびっくり。

 エンジンかかんないんですけど。
 外は台風。未だに雨戸も閉めちゃいないのである。昨日早寝したので、朝台風が来ててびっくりしたくらいなのだ。おかげで病院すいてていっぱい検査できてよかったけど。
 いやそれどころではない。

 四一昨日までの私ならこの時点で泣いていただろう。しかし今の私には携帯がある。
 そんな当たり前のことを、と思うかも知れないが、私にとってはもう携帯さまさまだったんだね。だって雨横に降ってるんだよ。そんな中また病院まで戻ってテレカ買って。冗談じゃないよ。
 だけど何かに負けたようで、ちょっと悔しい。


携帯2001年9月5日 22時40分
 とにかく分厚いマニュアルを見ただけでうんざりする。仕方がないので前から読み始めるが、
「そんなこたあわかってんだいこの野郎!」
と言うような内容が多く、途中から拾い読みに。とりあえずかけられて受けられればいい、と言う方向に転換。ちなみに機種選択は「丈夫で防水」という観点で。デザインもハードなほうが好きだし。
 かけてみたらかかったので、もうこれ以上いじらないことでしょう。
 面白いし便利だけど、私は嫌いだな。節を曲げたようで、むーーーーん、と言う感じ。

 さて、私の性格をご存知の皆さんはわかると思いますが、私は全く人の電話番号などをとっておいてありません。昔はアドレス帳を持ち歩いていましたが、離島勤務でそういう美徳が消えてしまいました。
 というわけで、ぜひ私にお電話を。このままだと部活用携帯になります。(まあそのつもりで買ったんだけど。)


把握出来ん。2001年9月4日 22時00分
 さっき冷凍庫で凍った午後の紅茶を発見した。今解凍中。
 朝ご飯用のクラコットが空になっている。いったいいいつの間に。
 読もうと思った本が出てこない。アゲハ蝶も中身だけどこかにある。見ようと思ったビデオも出てこない。
 誰に聞けばわかるんだー。とほほ。

 ついでだが新世代の部員たち、ほっといたら何していいかわかんないでぼーーーっとしてやがんの。夏休みにメニューやらせてんのに。怒りっぱなし怒鳴りっぱなしなのでテンションが高い。

 ついでなので知人の皆さんに怒られよう。前任校では嫌みも込めて紀香と呼ばれていた私だが、今年はどうやら「松嶋菜々子」らしい。共通点は「全く似てない」というところか?ちなみに今の私は下手な男子よりショートである。何なんだいったい。今日だけで3回もだ。(でもちょっと嬉しいかも。似てはいないけどさ)


ラッキーのおばさん。2001年9月3日 22時00分
 ラッキーのおばさんの本名を私は覚えていない。ラッキーというのはおばさんの飼っていた犬で、私がおばさんのうちに上がり込むようになったときには、もういなかった。私の育った町の細い路地を入ったあばら屋がおばさんのうちだった。
 あばら屋は本当に気合いの入ったあばら屋で、階段なんか所々抜けていた。建替えするには私道の幅が足りなくて、建て替えられないという話だった。おじさんと二人暮らしだったが、おじさんには一度しか会ったことが無い。

 子供だったデラシネは本当によくおばさんのうちに遊びに行った。変人で通っていたので、大人は子供がおばさんの家に行くことをよしとしなかった。でも私はおばさんのうちの雰囲気が大好きだったのだ。
 あんまり構いすぎないでいい具合に放っといてくれるし、話も面白かった。ある時遊びに行ったらべっ甲飴でカップ&ソーサーを作っていた。ぬいぐるみにはまっていたときもある。(その頃貰ったにわとりのぬいぐるみが今もうちのどこかにある)オルガンの練習をしていたり、なんか世捨て人みたいな人だった。

 ご飯を他所で食べると怒られる上、それがラッキーのおばさんのうちだったらもっとなので、子供デラシネはおばさんが私の分も作ってくれたピラフを食べずに帰ったことがある。今でも後悔している。とても深く後悔している。食べればよかった。でも本当に子供だった私は、二度飯なんて言葉は知らなかったし食もまだ細かったのだ。
 午後にまた訪ねたらいつものように迎えてくれた。でも悲しそうに二人分の食卓を見ていたおばさんの顔を私はきっと一生忘れられない。

 何であんなにあの家が好きだったか、大きくなってから幾度も考えたがよくわからない。狭くて暗くてひんやりとして散らかっていて、片づかない清潔な台所があった。何をしていても本当の意味では怒られなかった。不思議な味の飲み物や、ちょっと変わったお菓子を一緒に作った。あの家に出入りしていた子供はみんな、そういうラッキーのおばさんとおばさんのうちの醸し出す雰囲気が大好きだったんだと思う。

 それはアシラムのようで。

 私が小4でその町から越してしまって、でもその町を訪れるたびにおばさんのうちを訪ねた。中2で会ったのが最後だった。それから3ヶ月もしないで亡くなったのだ。65歳。不摂生していたからか、身なりに構わなかったからか、まるで魔女のように年老いていると思っていたけれど。

 今でもあの家が私の理想の場、理想の家。いつかおばさんのようになれるといい。そう、いつか。


負けない方法2001年9月2日 20時30分
 今の私は教育公務員なのでもちろん公営ギャンブルしかやらない。しかし女子高生の頃は日々トランプ賭博にいそしんだものだし、大学生の頃は麻雀に時間を食わせていた。好きなのである。
 物の値段を尋ねられて「ザンク」と答えて不審な顔をされたり、校務分掌見て「配牌サイアクー」なぞとつぶやいたりを未だにしているのだ。
 ここから先はフィクションなので誰も誰にも怒らないように。必要なとこにはちゃんと私がもう怒ってあります。

 先日生徒たちがやっていたソロとか貴族(フィクションですよ、フィクション)、私たちが昔やっていたやり方と同じでなつかしかった。必勝法まで同じなことに気がついた。

 いわゆる倍々プッシュである。

 最初は10円、次は20円、次は50円。負けが込んできたら一発逆転を狙ってレートを上げていくのだ。青天井とは違う。一応上限は@@円ぐらいのようだ。
 大人の倍々プッシュと子供のそれが違うのは、ある程度以上の金額になるともうわけがわからなくなってくるということだ。負けているほうがとにかく大きな借金がなくなるまで続けようとする。勝っているほうはうんざりしてもうどうでもよくなってくる。だいたいチャラになると、お互い「もうチャラにしよう」ということになる。「倍々プッシュ」と「もういいや」の狭間をとったバランス感覚は共通なんだなあと。
 小さい額のはそうでもないようだが、大きいレートのは大抵チャラで終わっているようだ。物賭けたソロはたち悪いけど。

 あくまでフィクションです。取り上げたトランプは沢山あるけど、みんな保護者にお返してますし。遊びならいいけど、賭事は稼いでいない子がやるもんじゃないね。

 長い付き合いの仲間って、夫婦とかでもそうだけど、暇になるとこの手のゲームするもんなんですね。ナポレオンとかしたいけどねえ、もうきっとしないんだろうね。面白いのにね。


休みボケ2001年9月1日 21時30分
 きっと誰もが夏休み明けの担任の訓戒というか説教というかお話を聞いたことがあるだろう。この手の説教に自分ほどふさわしくない大人がいるだろうかと大反省の一日だった。でも学活があったので一応そんな話もしたんである。口八丁手八丁。

 そんな今日の私。
1 起きたらもうBS「ちゅらさん」が始まっている時間。ちなみに私の出勤デッドラインは7時50分である。
 駐車してから職員室まで走った。ぎりぎりで間に合ったが。
2 朝の挨拶のために教壇に立っている段階で、今日何をするのか把握していない。
3 表彰があるのに部の子への指導をすっかり忘れている。
 (まあ大きな問題はないが、放っとくともじもじーで、だらだらーなのだ。)
4 学級通信を作っておくのを忘れたことに気がついたのがもう学活が始まってから。
5 じゃあお盆しっかりしてくるように、と学活を締めてさようならの挨拶もして。生徒がたたたと寄ってきて。
「先生、通知表」
 集め忘れちゃったよ。

 誰よりも休みボケでリハビリが必要。



Back    




アクセス解析 SEO/SEO対策