2004年10月の





微妙に釈然としない

 今日、駅伝の試走の交通整理に朝から出た。


 3年バド部員のSがひょいひょい寄ってきて、


「先生、誕生日おめでとうございました


 なぜに過去形。
 ROMなのは知ってるから、コメントでも残せばいいのに。


 リアル知人でROMなヒトがたくさんいるハズなんだが、こーやってネットに出てこない。
 他所でこっそりやってるブログの方がずっとアクセス稼いでる。
 ブログ2つ、ここがメイン、なのにどうしてもこっちの更新が滞る。タグ手打ちだから。
 (ホントはブログは4つアドレス持ってるんだが、二つはもう更新してない、ちょっと使い心地試してみたかっただけだから)
 ついでだけどブログのアクセス、リーダーで読んでるヒトは今のカウンタじゃ出ない。ブログサービスについてる解析みると半分以上がそうなんだけど。携帯でのアクセスも出ない。これは1割か2割。


 正直、日記ツールとして考えるならブログで十分。
 ただバックアップが取れなかったのであくまで遊びというスタンスだった。


 今日「波乗り野郎」というフリーソフトでブログのバックアップ、取った。


 何故に私はこのサイトを日記系の形で残してるんだろう。


 あ、もう日記じゃないか。腹が立ったときしか更新してないもんな。


 すいません、何か自分の中で決着がついたので、このまま続けます。
 いや、なんかわざわざ3ヶ所も更新するの馬鹿馬鹿しくなって。インデックスとか作り直したのに。また戻すのね。ああ我ながら頭悪いと大変。
2004年10月30日



昇り詰めたら後は下るしかないよ

 知人の神戸人(今は沖縄在住、でも根は生やしていない)が、新潟にボランティアに発った。


 仕事も客もバイトも放り出して行った。


 現地で今必要なのは食料や水、それでも人手も必要だろうからそれはいい。




 なぜ彼女は行くのか。




 彼女は神戸であの大震災の被害に遭い、ボランティアとしてなかなかいい働きをして、その体験談などを様々な場所で公演したりしている。
 その頃作った人脈を辿って、今の仕事もしているくらいだ。


 多分彼女の人生の中で、一番充実し輝いていたのが震災の後のボランティア活動だったのだろう。求められる非日常、手の届く範囲での工夫が生きる。
 その後の彼女の人生は、その体験を再現させることを目指しているように思われる。


 だから、あの時を求めて行ってしまうんだろうと思う。


 ワタシは過去には囚われたくない、あの瞬間もこの瞬間も己に刻む、でも彼女のように過去の充実した時間を取り戻そうとだけはしたくない。


 そうやって振り返ることに費やす時間が無駄だとは言わない。




 ただ、嫌いなだけだ。




 進行方向は、後ろじゃない。前だ。
(どっちが前かわからない人は多分人生のどこかで手を抜いたか、まだ若すぎるかではないかと)


 ボランティア自体は悪いことじゃないし、ワタシも地元でなら、仕事の合間にきっとする。
 自分が助けられる側に回ったことがある人が、助ける側になろうとするのも理解できる。


 その行動がその人にとって価値があり、様々な人の役に立つのならそれが例え後ろ向きでもいいと思う。


 でも価値を持つ働きなら、賃金が出るべきだとワタシは思う。
 ボランティアがありがたがられるのって無料だからだよね?
 無料でもしたいいいことだから、するわけだよね?




 ただ働きはプロレタリアートには悪だ。




 もちろん私にとって一番幸せだったときは過去にある。
 一番、と考えたら多分あの頃なんだろうと容易に想像がつく。


 でも、過去なのに。戻れるわけじゃないんだ。求めるべきじゃないし、そういうスタンスも美意識に合わない。


 いつだって、未来より過去より現在。
 どんなに幸せな過去より、未来に向けて準備することより、現在。


 今だけが確実に存在するんだから。


 潔く過去を引きずってるの、それはそれでいいけどね。
 ボランティアじゃ飯も食えない。
 己の責任を果たしてからのボランティアだと思うなあ。


 ボランティアが悪いというんじゃない。
 私にとってもボランティアだったときが一番幸せだったと思う。
 金が絡まなくて、よく働くんだからそりゃね、幸せにもなるね。


 そうやって自分に言い聞かせながら、金になる仕事をメインに生きて行く。
 ヒトは幸せじゃなくていい。
2004年10月29日



大したことはできない

 台風なので休みだ。
 ウチを出られないので大したことは出来ない。
 外階段しかない我が家は2階にすら行けないし〜


 前の台風の時に、ちょっと甘く見てひどい目に遭ったのは内緒だ。


 階段のある側が風下だったのでいける、と二階に上がったら、えーと、二階は風が倍強くてね。


 そういうわけでウチを出られない。


 昨日Kのお母さんからもらったサーターアンダギーをアールグレイのアイミティで食べながら、ブログのデザイン変更したりこうやってサイト更新したりしているのが関の山だ。
 これだって停電するまでで、停電したら本読むしか出来ない。


 休みって言っても結構限定された休みだなあと、やってなくて困ってることを思い出して悲しい。
 溜めた書類3つ、これだけはせめて持って帰ってくればよかった。事務の人も待たせてるってのに。


 さあ今度は昼ご飯の準備をしよう。<めっちゃ楽しそう
2004年10月19日



私の世界は私だけのもの。

 時々野鳥を育てる、5割は駄目だ。


 でもうまく元気になった鳥は放す。
 鳥は鳥の世界に。


 新しい世界を雛が手に入れていく、とても喜ばしく、私は安堵する。もう大丈夫。
 そこで手を離す。
 手を離すタイミングはいつも同じだ。


 鳥でも人でも、飛び立つタイミングは似たようなもの。


 きちんと飛べる翼を、餌を得る知恵と技法を、ちゃんと彼等は身に付けただろうか。


 たまに放したのに帰ってきてしまう鳥がいる。
 愛しているのでもちろん嬉しい、でも人のそばで鳥が生きることは危険だ。
 ちゃんと鳥の世界で生きて欲しい。


 鳥と人は世界を共有できない。
 どんなに労力を注いでも、愛しても、空は鳥だけのもの。
 空を手に入れた鳥は私とは違う世界に生きる。


 人は少しは鳥より私の世界に近い。
 生きているのか、どう育ったのか、時々見せに来てくれる。


 今年高校を卒業する生徒の進路が決まり始める時期だ。
 高く遠くへ飛べと、教えなくても飛んでゆく。
 嬉しい。


 飛べなくなった鳥は、どんなに手を尽くしてもいつも死んでしまった。
 でも人は、その人なりの世界を構築していく。
 応援しよう。
2004年10月16日



県ダブルスは試金石だから結果悪くてもいいんだけどさ

 練習して実力付いたなら、勝て。
 格上に負けるならともかく、固まって実力出せないのが一番わじる。


 そう、わじっているのよ。暗く深く静かにわじっているのよ。
2004年10月10日



私の書く文章は全て日記だ、読まれる可能性も考えているところがなおさら日記だ。

 何かを言いたいときがある。
 誰かに言いたいときがある。


 誰に、というのが特定できないときすらある。


 映画で見た雑魚キャラのお姉さんの髪がとてもきれいだったとか。
 試合に負けてわじったとか。
 友人が試験に受かって嬉しいとか。
 何でそんな試験受けてんの?キャリアの方向間違ってない?とか。
 落ちたんだ、とか。
 試験ネタが多し。そういう時期だからな。教採とかパソ検とか調理師免許とか。


 いつでも訴える相手がそばにいるとは限らない。
 そばにいるから訴えたい相手とも限らない。


 だから私はこうやってどこかの誰か、時々は特定の、時々は不特定の誰かに文章を打ち続けるんだろう。


 でも本当は、一番読んで欲しいのは、多分未来の自分。
 その時その文章を書いたときに感じたことが、読むとまざまざと蘇る。
 蘇るような内容だけを。単なるネタとしてのエントリはしない。そう自分に縛りを入れてちまちまと書いてきた。
 方向はブログも同じこと。


 でも、誰かにあてた内容のようなものがあるとき、そう感じた人は嫌なのかも知れないと今日いきなり思った。


 伝えることができなかった、そういうことを書くことも多い。でもあくまで自分の中での昇華が第一義で。
 たまに、偶然それを当の本人が読んでくれていることを知ってそりゃあ嬉しいこともある。
 読んでくれるといいと思って書いているときだってある。
 そういう反応が続けていくモチベーションになったりもする。


 でも、私がこうやって打つときの基本は、誰も読まなくても自分がいつか読む、というスタンスなのだと思う。


 それが人とのつながりを生むことがあって、そういう部分はとても楽しいところだけれど、あくまで派生する部分であり目的でも主眼でも無いことは心しておこう。



 まあようするに、下手に現実を晒して人を傷つけないようにしよう、って思ったのよ。
 なんていうんですか、誰かとしたい人のうわさ話があるんだけど、適当な人選が出来ないよ、ってときにサイトとかブログにその話題を乗せるのはやめたほうがいいのかなと。誰かに誰かが振られて泣いてるとか、そういう話はね、する相手難しいね。昔は狭いところで生きてたから難しくなかったけどね。ここ1週間ぐらい微妙に悩んでいるんだけど。うーん。
 前回のも中途半端だったけど、今回のも最後で半端だなあ。
2004年10月10日



人は幸せでなくてもいい。

 午前11時台、英語のテスト監督で2年の学級の後ろの棚に座っていた。
 手元でなんかやってるとよくわかるので、監督にはいい席だ。


 生徒達はこれでテスト3時間目、体育系の男の子達が何人か腰をストレッチしている。
 ずっと机に向かっているから体も固まるんだろう。


 前線が近いのか、風が強い。3階。まわりに高い建物はない。


 晴れたり、曇ったり。


 静かだ。




 学習が喜びじゃない子は多いよな。
 途上国とかではそうじゃないはずなのに。


 今ストレッチしてるあの子なんか、多分ここで若い筋肉を机に向けているより、漁とか猟とかものを作るとかそういうことをしているほうが向いてそうだ。


 元々、大人の持っている技能を学ぶことは若年者にとっては喜びだったんじゃないか。
 もちろん日々の授業の中で面白さを感じさせてはいるけれど、それは祖先が大人から学んだ確かさとは全く質の違うもの。知識としての質の高さのせいか、純度のせいか、今の学習はパズルに近い。生活の中の技術とは意味から違う。
 産業革命後のラインやコンベアに使われる工場労働にはそういう喜びすら無い。
 <やってみて言ってます、工場で働いている方、ごめんなさい


 こんなして向いてもいない好きでもない勉強に時間を費やした結果として工場労働者になるなら、草原を駆けたり船を操ったり、料理や子育てに精を出しているほうが、なんぼか幸せなんじゃないだろうか。
 瞬間のトータルとして人生があるなら、筋肉や内分泌腺の言う通りに生きるのも一つの道だなと、真直ぐな背骨とか広背筋を見ていたら、つい考えてしまった。




 人生50年だった時代なら、20までに子供生み終わって40には孫が出来てって生き方で良かったんだろう。筋肉のため息を聞かない人生。幸せそうだ。それで何が悪い。はっきりと見える果実。体を隅々まで使い尽くしての死。


 いいじゃないか。


 それでも彼等は今幸せじゃなくていい。
 上の話と矛盾してるが、なぜ幸せじゃなくていいかを説明していたら冗長になってきたので今日は仕事に戻る。
 羊の幸せはいらないし、理念としての幸せも人にはなじまないから、うんざりするほど長い人生のために若いうちは幸せじゃないほうがいい、というところがサマリー。
2004年10月5日




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