2003年3月の怒り

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25 微妙
25 ぽって
24 菜摘ひかる
24 いとこ
24 Dorcus curvidens binodulolus
   Waterhouse
24 忙しかったようだ。
20 あーやだやだ羽田、JALもやだ。
20 ちょっと気になったこと、
   思わず爆笑したこと
20 自分でやると人のを見る目が変わる、
   ついでに過去も振り返る
16 わかってるなあ
15 てれてれと喜ぶ
09 ばればれ
09 勝つ手が無いような気がする、まだ今は。
08 コピーガード
08 別姓

微妙 2003年3月25日

 どうせ思う通りになんかならない校務分掌。それがやってみたくないわけじゃなく、他にやりたいことがある。微妙。

 事実なので「ないちゃーですし」と、ないちゃーと言う言葉があまりいい意味でないことを分かりながら使う。
「でもデラシネは、もうないちゃーって感じじゃないよね、島ないちゃー」血も育ちもウチナーではない私はウチナーにはなれない。無理はしない。これが私だ。でも島ないちゃーと言われる。なじんできたということなのなんだろうが、中途半端な己の存在感に存在感に隔靴掻痒。

 旦那の作るご飯、おいしい日が増えてきたんだけど、こう、塩加減が微妙にポイントを外しているというか。これも微妙。

 片づけものが終わらない。どこかを片づけると次の場所が散らかる。仕事も次から次へと締め切りが来て何時になっても片づかない。ばりばりやってるのになあ。部活ゆっくりみたいぞ。仕事は好きだけど、底が見えない。プライベートのお礼状とかもさっぱり進まない。いつ終わるのか微妙。


ぽって 2003年3月25日

 3年前の生徒がよく口ずさんでいた。

「ぽってー元気♪ ぽってー元気♪」

 沖縄方言で「この役立たず」とか「えーもう馬鹿」とか、うーん、ちょうどいい訳語が出てこないが、「ばか者め」って感じの言葉に「ぽってかす」っていうのがある。
 「ぽって」ということもある。けなす言葉だが、語調によっては愛着がこもる。ぽんかす、とかアホとか関西にも似たようなけなし言葉があるように思う。

 てっきりあの島の、彼女の作詞作曲な鼻歌だと思っていたんですが、ディアマンテスだったんですねえ。


菜摘ひかる 2003年3月24日

 何時亡くなったんですか。何で亡くなったんですか。

 しばらく彼女のサイトに行かなかった。閉鎖と言いつつ時々更新してたのがファンには嬉しかった。ただ忙しくてあまり寄らなくなった。

 空港で本屋に寄ったら新刊の文庫が出ていたので買った。「夭折」?

 久々に開いた「ナツネット」を見て、とりあえず祈った。祈っても届かないが、祈るしか出来ない。


いとこ 2003年3月24日

 私は来るものは拒まず去る者は追わず、でも自分は定点観測という怠け者なので、子供の頃夏休みに大抵お世話になっていた母の実家に全然顔を出していない。
 この間の披露宴には長いこと会っていなかった親戚が結構来てくれて、本当に久々だったので結構嬉しかった。

 私は人生決めるのが遅い大ざっぱ投げやり系だが、いとこは奇麗で玉の輿系が多くて、今回来てくれたのも奇麗な子。
 一つ下だけど、もう中1と小4の母だ。
 旦那は社長、ま、若奥様って所だろうか。色々あるみたいだが、私から見ると人生真っ当に行ってるなあと感心する。

 その彼女が今回ウチの母に言ってったそうだ。

「デラシネはいいねえ、好きなように生きて、きっと死ぬとき後悔することなんて何にも無いんだろうね」

 あんまり無いとは思うけど、隣の芝生は青いってことだと。いつでも沖縄に来てね、歓迎。逃げるのは悪いことじゃない。

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 母の実家があるところは、凄い男尊女卑で、例えば伯父のこの科白に要約されてると思う。

「言われたんだよ。お前のところは女ばっかりで何にも地域に貢献してないんだから、お前がやらないと、って」

 伯父は故郷を捨てて東京で嫁さん貰って、今はリタイアして帰ってる。おばあちゃんを送ったのも伯父がいない間ずっと母の実家を支えていたのも、未婚の伯母二人だ。
 私はそれを聞いたとき怒りで前髪が立ったくらいだが、当の伯母があまりの失礼さに(それはおそらく繰り返されていることで)固まっていたのであえて異論を発しなかった。
 だって飛行機に乗って祝いに来てくれている伯父伯母だのに。そして伯父には何の悪意もないのに。だから腹立つんだが。でもそれを言っても多分わからないだろうし。うーむ。
 人は人、我は我、されど仲良し。<自分への呪文

 ずっと住んでいると其所での価値観しか見えなくなるかもしれない。「96%が他所者だよ」と言い切る古いコミュニティで生きることは私には無理だ。
 だからそこでちゃんと暮らしているいとこはすごいなあと思う。でも逃げてもいいんだよ、っても思うよやっぱり。めんそーれ。


Dorcus curvidens binodulolus Waterhouse 2003年3月24日

 私は理系の女である。

 理系の女友達も多い。
 友人の式で久々に会った友人もその出会いからして理系であるが、その辺は割愛して彼女の訴え。

「私虫は嫌いなんだけどね、実はね、道でオオクワガタを拾ったの」
「すごい。でもあれってそうそう落ちてるもんなの?」
「ううん、珍しいと思う。で、嫌いなんだけど大きくて、角がこうなってて、さすがにすごいと思って飼ってたの、1年以上」
「結構長生きするんだねー(うーん、虫嫌いでもつい飼ってしまうのか、やるなあオオクワガタ)」
「それがさ、この冬に死んじゃったの」
「標本にした?」
「ううん、でも誰かに話したかったの」

 そうか。彼女がなかなか嫁に行かない理由がわかったように思うぞ。ふーむ。


忙しかったようだ。 2003年3月24日

 3月7日 同僚の結婚式 in ハーバービュー。ご飯おいしかったし花嫁なかなか良かった。

 3月10・11日 県立入試。3年担任ですし。生徒からの電話はがんがんかかりますし。

 3月13日 卒業式。久々に袴を着てみました。3学年女子職員全員、華やか。全員参加・全員卒業、いい式でした。

 3月15日 自分の披露宴。14日は前撮り。

 3月17日 合格発表。二次に向けて準備。

 3月19日 高校の友人の披露宴 in 川越。前日の最終便で行って次の日の朝の便で出てそのまま出勤。

 3月22日 JOCVの後輩の結婚式&披露宴 in 波の上宮 & 四つ竹。新郎新婦が自分で司会してました。

 自分でもどうしてこのスケジュールで、今日要録が仕上がっちゃったかわかりません。

 一言怒るなら「(低い声で)えー、要録の甲書式ぐらいちゃんと書け(もー間違いの多いこと)、住所変更あったら訂正しとけ、修正テープなんか要録に使うな!それも1年で。皆出席とか書き落とすなあ、ハンコが斜めで気持ち悪い水平に押せ、下書きの鉛筆は引き継ぐ前に消すのが当たり前だろう、印影薄くてコピーにでない、所見に(以下略)

 要録では久々にたっぷり怒りました。次は九州遠征だ!


あーやだやだ羽田、JALもやだ。 2003年3月20日

 朝の便で帰るというのはなかなかつらい。何がって早起きが。
 普段は別の会社を使っているのだが、業者にとってもらったら今回はJALだった。
 ぎりぎりに出てチェックインも浜松町で済ませ、お土産買う暇もトイレに行く暇もないってとこで引っ掛かった。

 何がってボディチェック。

 私は鍵束にヴィクトリノックスのクラシックをつけている。大抵のことはこれで済むので、人生必需品。もうちょっと前はフィッシャーマンを愛用していたが、もう重くて持ち歩くのが難儀である。ちっちゃいクラシックで十分。
 このサイズだと金属探知器にもかからないので意識したことすらなかった。

 あと15分で出発、5分で搭乗口まで行かないといけない、色々その前にしないといけないってのにカバンの底にある鍵束を引っかき回して出させた揚げ句、ガムテープで巻けば済むことなのに機内に持ち込めないから預けろという。

 私はあの回る荷物コンベアーの前で待ってるのが嫌いなので、よっぽどのことが無いかぎり機内持ち込みサイズの荷物しか持たない。

 ったく冗談じゃない。時間の方が大事、話しても埒が明かないので、外して捨てた。

 田舎の国ほどチェックが無駄に厳しいって言うけど、ホントだ。人がたくさん居たり金があったりするのが都会じゃないね。あーもううんざり。
 あの手のチェック受けたあとハイジャックするにはどうすればいいかねえとか、さまざまな手口を考えつつフライトを終え、降りる直前に機内放送が入った。

「手荷物検査等に時間がかかることがございますので、出来るだけ早く搭乗口においで下さい」
 ブッシュが悪いって言いたいんだろうけどさ、私は他に選択肢があったらもう二度とJALには乗らない。他のサービスは普通だったがね。

 そういえばフライト中にイラクに対する侵略が始まった。今に始まったわけではないが。
 テロを決して肯定してはいけないが、テロを受ける理由は肯定していいんだろうか。
 出来るだけ女性と子供が死にませんように。国が荒廃しませんように。祈るくらいしか出来ないのか。出来ないのかな。



ちょっと気になったこと、思わず爆笑したこと 2003年3月20日

 友人の式に恩師が来ていた。ハヤミ先生とおっしゃる独特な芸風の方で、実は私は結構彼女を意識して芸を磨いている。まだまだ先生の間には届かない。これは性格によるものだと思うが。

 ご挨拶に寄っていったら、覚えていて下さった。嬉しい。が、複雑だ。
 私も教職についているが、担任もしていないのに記憶に残っている生徒といったらそりゃあなんかあるわけで。ま、どっちかというとお利口なんかは覚えていなかったりするわけで。

 複雑である。
 あの頃はまじめに生きていたのに。

 いや今もまじめですが。

 クロークに荷物を取りに行った友人が笑い崩れている。
「コート取りに行ったら一生懸命ハンガーを渡そうとするのよ〜」

 あるわよね、そういうことって。クロークさん気まずかろう、と思って見たら、30ぐらいの男性ホテルマンがすましてる。でも耳がこっち向いてるのがわかるし、ほんのり赤くなっている。
 思わず私も爆笑。


自分でやると人のを見る目が変わる、ついでに過去も振り返る 2003年3月20日

 何でもやってみるもんだなと思った。
 何ってそりゃ色々。

 遠くから来てもらって嬉しかったのと、せっかく来てくれたのにさっぱり話せなかったので私も強行軍で19日の披露宴in埼玉に行ってみた。授業が無いから行けるようなもんである。
 典型的な内地式の披露宴で、もう染まっている私には「そうそう、内地ってこうよね」ということしきり。ご飯は内地式の方がゆっくり食べられる。
 最初に出た八寸?オードブルの左手前のやつ(なんのことやら)と、ポットパイが美味かった。

 新婦がアルフィーのファンだということがよーく分かる選曲。キャンドルサービスのスタート、「至上の愛」だし。いや懐かしい。料理も彼女の好物が多い。そうか、こういう手もあったな、と思った。
 ウチは旦那が主に準備したので、Maxi Priestとかでした。あとはブルースブラザース。もう私はドレスとかてんでだめなので、いっそばく転しながら黒のスーツで登場とか、って言ったら怒られたし。ちぇ。

 私はしゃべるとろくなこと言わないの鉄板なので、マイク全く持たなかったんだけれど、彼女の式では最後に一言があった。

「長いか短いかわからない人生ですが」

 おいおいおい。ここまではまあキレイな花嫁さんで、にっこりとまとめていただけに。
 人間あんまり変わらないもんだね、と旧友達と確認してしまった。

 そのまま母校に流れていって、受付で訪問者札まで貰って中を見せてもらった。思い出の場所が無くなっていたり、学食の定食の値段が上がっていたり、色々。結婚式帰りで私なんか手違いで振り袖、不審だ。
 一つ気がついたことは、食べ物に関しての記憶は結構鮮明だということ。あの店のパフェジャパネスクがどうの、学校のパン屋のチーズクリームパイがうまかったの、そういうこと。

 いつかまた食べ物については書きたいと思う。例えばなくなっちゃってたコロッケ屋についてとか、おなかすいてて帰りに何食べたとか。無くなってても覚えているもんだなあと。ちょっと振り返りモード。


わかってるなあ 2003年3月16日

 もちろん今日から部活。この辺迷いなし。
 でも部員の親御さんには「まさか今日はやらないはずだから行くな」というご意見もあったようで。電話かけて確かめる、と言ったら「そんなの失礼だからやめなさい」と親御さんには怒られたそうで。もちろんその子も来てましたが。
 部員はわかってるのね、というのが感想。

 友人や生徒達からの記念品がもう私のスイートスポット突きまくりで。
 私の好みが分かりやすいということなんでしょうか。

 女バドの子達も呼べばよかったなあって、ちょっと今後悔してる。とても嘆いていたと。おいおいこれ以上人増やしてどうするんだよ、とは思ってるんだが。広げると際限ないけど、でもせめて高1の子達だけでも。あああああ。煩悶中。ま、今更ですが。


てれてれと喜ぶ 2003年3月15日

 素直に祝われて嬉しいです。
 ま、ちょっと色々考えるところはあったんですが、披露宴は面白かったです。やらない派の人、ぜひやるといいです。大丈夫、どうにでもなるなる。



ばればれ 2003年3月9日

 皆さんに迷惑をかけつつお願いしている披露宴余興。
 旦那はその大変さをわかっているんだろうか。いや絶対わかっていない。

 余興というのは何かというと、沖縄県の披露宴では新郎新婦は置いといてみんなが芸をするわけですよ、ステージで。
 で、それを友人とか職場の人とかにお願いするわけですね。
 みんな私には何やるか隠しているんだが、まあどの団体にも間抜けはいて。

 職場の分は、生徒会長が「先生、これどういう手順なの?」となぜか私に聞いたので何やるか知ってしまいました。ああもう本当にありがとう。大変なのに。

 部の方は今日間抜けなYがぽろっと。部長や周りの子がそりゃあ怒濤のように責めていました。
「わかった、やっぱり変えよう」って遅いよ。ばればれ。
 それでもとても嬉しい。みなさん、ほんとにありがとう。


勝つ手が無い様な気がする、まだ今は。 2003年3月9日

 このシリーズで一番人気無いバド部がらみ。
 まあ試合だったので、書いておかないと。

 Cチームは善戦。でもシングルもう少し頑張ってくれてもいいのに。たとえ優勝校相手でもさ。
 Bチーム、1年生は自分の仕事はきちんと出来た。2年がなあ。団体メンバーにも入ってるのが勝てる試合を落としてだな、やっぱりそういうのはだめなんですよ。人生何が何でも負けちゃいけないポイントってあると思うんだけれど、これってそういうのを落としてると思う。
 Aチームは考えたら決勝でしかセットは落としてないんだが、最後で負けちゃね。手を尽くしたような気もするし、オーダーも当たってたので、負けて腐っている。
 こっちの1番手はあっちの2番手には勝てるはずだし勝たないといけないんだが、体調不良のところ温存せずがんがん使って自滅してしまった。オーダーは生徒に出させた試合ではあったんだが、体調さえ良かったら勝てたはずと思うとうんざり。いやそれでもだめなのかも。

 それでもだめだとするとこれはもうどうしたらいいやら。練習をもっと詰めないといけないんだろうが。すいません今日は落ちはありません。さすがにへこんでいます。


コピーガード 2003年3月8日

 椎名林檎を買ってきた。
 なんか試合が今日の分はあっさり終わったので、久々にTUTAYAなんかに寄って、ちょいと買い物なんざしたわけですな。

 なんすか、このコピーガードという奴は。すでに常識っすか?月1ぐらいでは買ってたのに、今まで一度も当たらなかっただけ?

 そりゃ私だってCDコンポぐらい持ってますよ、でも普段はマックで聴いてるのよ音楽。コピーするわけじゃない、ただ再生したいだけなのに、何でこーゆーことするかなあ。
 きちんと生きてる皆さん、みんなでコピーガードCD不買運動しましょう。いや、コピーできなくてもちゃんと再生できりゃ別にいいんですけど。やってみたら4曲は大丈夫で他はだめでした。ああもう中途半端。


別姓 2003年3月8日

 自分の名字には誰でも愛着があると思う。
 私の名字は変で、だからなおさら愛着がある。

 まあ他にもいろいろ理由はあるんだが、私は性を変えたくない。
 何でそれだけのことがこんなに面倒くさいのかよくわからない。

 だってずるいと思う。女だというだけで、なんで自分の名字を変えることを当然と思ってるの?別に相手に変えて欲しいとも思わないけれど。
 まあ要するに納得がいかないわけですよ。別に旦那に養ってもらってるわけじゃないし。そうなる予定も全くないし。私ワーカホリックだし。

 早いところ別姓法案が通ってくれないと、ほんとに困ります。もううんざり。

 実は同窓生に同じ名字の人ともうすぐ結婚する人がいて、これが超羨ましいっす。でも私と同じ名字の人って、まだ一度も会ったこと無いからなあ。いることはいるらしいんですがね。今まで一番近づいたので、「あー、与野の方の監督が同じ名字だよ」って、交通誘導警備のバイトしてたときに現場のおっちゃんが。

 とにかく納得するまでこの無益な戦いをやめることはないでしょう。<いやマジで戦いだし


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