最近の



Stand by meというには歳を取りすぎた


 海に斜めに降る雨や
 一斉に飛び立つ白い大きな鳥を見たとき


 寒い日に外に雨


 窓下の雲


 魚の群れ


 珍しい蝶


 ヤシの木の向こうに沈む夕暮れ


 夜光虫


 台風


 とても美味しいものを食べたとき


 会いたくなる。  
2005年8月13日



考える訓練
 普段200名以上教えている私は、今26名を教えている。
 教えられる生徒達からすれば、いつもこんな割合で教わっている。


 これはもう少人数の塾と同じ、そりゃあ贅沢なもんだ。
 教育効果が上がって当然のような気がする。


 でもそうじゃない。


 やはり競争が成長に一番大事なものなんだろう、幼稚園の頃から一緒でヒエラルキーが固定した中で彼らはあまり競うことが無い。


 そのせいか、伸びない。


 今まで理科については見てきたが、今日英語の研究授業を見てある思いを強くした。


 例えばちょっと分からないことがある。
 大人数の中で授業を受けていれば、ひょっとしたらそのまま分からないまま流してしまうかもしれないが(多いかも)、分からないことを自分で調べたり、生徒同士でどうにかしようとしたりするもんである。


 少人数では、ちょっと分からないことがあると、分からないことが教師の私たちにすごく良くわかるのだ。
 指名される回数も大人数のところとは全く違う。
 ノートだって書いている最中のものですら全員分チェックできる。


 教師は、待てずについ誘導する。
<ヒントをあげたり、ステップをつけてあげること


 そして生徒は、分からないとフリーズする。
 分かるヒントが来るまで待ってる。


 どっちが先かは分からない。


 でも結果として、それほど能力が低いわけでもないのに、思考能力だけ異様に低い生徒達が今ここにいる。


 理科だけかもしれないと思った。
 考える力を特に必要とする教科だから、考えようとしない部分が気になるのかと。


 そうじゃない。
 英語でもやはりフリーズする生徒を前に、ALTですら誘導していた。


 誘導が悪いというわけではない。
 それは私たちの技術の一種だ。
 私も得意だ。
 必要なときもある。


 でもずっと少人数でやってきて、いつも誘導されてきた彼らは、考えようとしない。


 赴任して3ヶ月、ずっとこれをどうにかしないとと授業を展開してきた。
 普通の授業もしながら、「考えること」をいかに授業に取り入れるか。
 部でもそんなことばっかりやってた。


 本来ならさらっと教えて終わるところを、ほとんど謎のまま問題として提示して時間だけ与えて取り組ませるようなことを沢山している。


 ひとりが考えて、それに他の生徒がぶらさがるような4月、
 小グループで考えて、なんとか答えにたどり着けるようになってきた5〜6月、
 今日やっと、もちろんお互いでの情報の共有は多少あるものの、考えることが苦手な生徒も基礎学力が足りない生徒も、なんとか自力で考えて答えにたどり着いた。


 考えることも、走って体を鍛えることや知識を蓄えること、計算力をつけることのように訓練なのだ。
 今までもそういう意識でやってはきたが、これ位はっきりそれを意識して、その上結果が見えたのは初めてだったので嬉しい。


 でも、誘導したい誘惑は強い。
 時間内に、と思ったらついやってしまう。
 なにしろもともとそれが悪いことだというわけじゃないんだ。


 多分、普通の40人学級と少人数では指導方法をかなり変えていかないといけないんだ。
 でもそれが少人数ゆえのぬるさや気楽な指導体制に偏っちゃってないかというのが、今、生徒を見ていて一番強く感じること。
 気をつけないと。


 頭使って、知恵も使って。
 彼らの思考を育てないと。


 はっきり言って知育より体育より根気も手数も必要だ。


 がんばろうっと。
 考えることができるってのは大切なことだからねえ。
2005年7月6日



地区大会覚書


 この学校に来て3ヶ月。色々思うところはありすぎるほどあるんだが、このまま置いておくと薄れていきそうなので箇条書でとりあえず書いておくことにした。

 このバドミントン関係書き込み、一部以外に全く受けてないけどいいの。
 うう、寂しい。

■実質二ヶ月じゃこれがワタシには精一杯。

 そんな言い訳は負けだと思うんだが、本音。
 シード権の時にはまだ選手がワタシに慣れていなくて、声かけやアドバイスで固まるという情けない状態だった。 
 前任の顧問は今地区専門部長、ワタシとはタイプは違うがバド専門で生徒達の信頼も厚い。
 
 やっと信頼を得て(って早いだろたった二ヵ月だし!)それなりに伸ばすべきとこを伸ばして、伸びたとは思うんだけど、今まで走ってなかった選手、2ヶ月じゃ体力仕上げることすらできなくて。
 基本技術は前の顧問の先生がつけてくれてて、トーナメントと台風に恵まれたとはいえ一度は3位入賞したチームを預かったのに。

 悔しい。

■オーダーはばっちりだったが

 結局体力負けさせてしまった。
 もうちょっと耐乳酸トレーニングとかやっとけば一つはどうにかなったと思うの。
 実力だとは思う、メンタルも体力も実力のうちだし。


 正直A中(6位、ウチの一個上)にはもっとフィットするピンポイントオーダーあったと思うんだけど(逆を返せばオーダー負けの可能性のある、くそオーダー)、あれで、あのオーダーで負けるならA中が県に行けばいいと思った。

 A中が、離島のA中が九州に行くのは私にとっても夢だ。

 今年、層厚かった。
 T中(シード権でウチが負けたとこ)なんか、ウチが無茶なことしてH中に勝たなきゃ普通に県派遣決定リーグには入れていたはず。気の毒だった。

■Kのこと

 シングルスで県狙ってた選手がいる。
 正確には県大会出場狙ってた、か。

 ロイヤリティが高くてそれがワタシに向いてりゃ可愛いが、元顧問に途中で2週間ぐらい向きやがって(たった二ヵ月のうちの2週間だし!)、それでも最後の最後、理解して急激に伸びて、髪も切って、まあこれならぎりぎり何とか、と思ったんだ。

 トーナメントにも恵まれていたし。

 一回戦は手塩にかけた前任校の2年エース。
 実力は互角。ホントは相手が少し上。2年なんだから今回は譲れ、と思った。
 ファイナルで、セティングもあって、本当にやっとで勝った。

 二回戦はやばいとこだった。 
 確かこの代のシングルスの何かで地区優勝したことある選手の山。

 この選手が右手小指骨折、棄権。
 不戦勝で上がってきた選手は楽に取る。
 それ位は練習してる。

 そのまま試合が続けばこちらに有利だったと思うんだが、試合進行が遅れてベスト8決めが翌日に持ち越した。

 宿泊が続いているのは相手のシード選手も同じだった。
 条件のせいにはしたくない。
 でも団体で消耗した状態で、ファーストゲームはなんとか取って、、セカンドセティングで取られて、ファイナルで落とした。

 こいつ、いったいこの地区大会でいくつファイナルに行って、いくつセティングしたんだろう。

 時間が無くて耐乳酸トレとかインターバルとかができなかった。
 要するにそれが敗因。
 いっそ団体でリーグ戦に入らなければもう少し体力の余裕があったのにとすら思った。

 こいつが体力尽きて団体も負けたんだけどな。

 今回の地区で泣いたのは団体でウチのエースが前任校のエースに負けて団体での県が無くなった時と、こいつがシングルス負けたときだった。

 負け審は必ずやれと、1ゲームだけ泣いてから次のゲームから審判もちゃんとやってた。

 今も、県に行くエースのYを鍛えるために頑張ってる。もちろん4km炎天下走ってる。
 時々モチベーション保てないけど。

■KとTのダブルス

 このダブルスは力の差がある。
 結構乗り越えられない差だと思う。

 Tを団体で相手の一番手に当てまくってこの大会の中で育てることを目標にした。<ありていにいうと仕上げが間に合わなかった

 Kは団体ではいい仕事してた。元はエースとダブルス組んでたくらいで、ダブルスはかなり上手い。練習ではピカイチ、試合になると集中が切れてミスをする傾向がある。

 シード権大会ではこの二人、信じられないくらい固まって二つ位格下のダブルスに負けた。
 そういう、メンタルが一番厳しいペア。どちらかというとTが、でも一緒にKも崩れていく、その様子を見ると胃が痛くなるくらいだった。

 せめて実力が出せるように、と思ってたがそのあたりはなんとかクリア。

 固まらず、負けた原因もちゃんと分かりながら、最終日に負けた。悔しいけど納得。

 その上その最後の試合の最中KとかYも試合中で声かけも出来ないまま負け審やってんの遠くから見てた。

 今年ダブルス層厚かったから、仕方ないと思う。
 Kは今も頑張ってる。

 引退は最後の一人が負けたときだから。

 T?走るの嫌みたい。朝も起きられないって。だから負けるんだよとは言いたくないがKのためには言わないとね。

■女子の試合を見ることができない

 この学校では男女一緒に練習なので、可愛い可愛い選手二人、最後の試合。

 それを見ることすらできない。

 それどころか、出しておいたオーダーですら通ってない。
 出しておいたオーダーどおりにしておいてくれたらぎりぎり県大会団体で行けたのに。

 教えてる子は見たいの。ホントに。でもそれがかなわないのは辛い。見なきゃ次に繋げられないのにな。体一つしかなくて、声かけが効く女子についてあげられない、苦しい。

■前任校

 団体とエースのダブルス、県に行けてよかった。部長と副部長のダブルスが行ければ予定通りだったんだが。シード権大会でM中になんか負けるから。もう。

2005年7月3日



中国製品だと分かったら買わない


 ある特定の国に対して悪意を持つように教育するという国策は絶対おかしいと思う。

 中国製品だとわかったらもう絶対買わない。

 そんなことしかできないけどね、できることから一歩づつ。

 私の知ってる中国人はいい中国人だったけどって思ったところでナチスの言葉を思い出した。

「どの良きドイツ市民もユダヤ人の友人を持っているところが問題だ」

 うーん。

 あ、もちろん韓国製品も買わない。
 中国製品と違ってめったに出会わないので意識するほどではないが。

 中国製品をよけるのはとっても大変。Made in Chinaマジ多くて。

 

 ちなみにアメリカ製もできるだけよけて通ってるし、フランス製も食関係以外はよけているので、ワタシの消費生活はすっげえ大変。自分でもこういうとこ難儀なんだけどね、これやめたら自分じゃないような気がするしね。イギリス人は嫌いだけど今のとこイギリス製品はよけてません。我ながら何のことやら。

 ちなみにアメリカ人と韓国人の知人はいい人です、全部。
 国と人って何でリンクしてないんだろ。

2005年7月3日



晴れるな

 涙を飲んで明日の授業とテストの準備と書類提出のために帰ってきた。
 見たかった試合が遠くて、行けば今日中には帰れなくて、天気予報じゃ飛行機も飛びそうに無くて。


 今、晴れてます。
 私は何のために船で朝早く帰ってきたんでしょうか。
 今この瞬間、判断ミスを呪っています。


 でもちゃんと考えれば、明日休むか少し年休取らない限り今日の試合は見ることができないのよね。だって往復に3時間半かかって、家から空港なり港なりまで悪くすると1時間かかるわけだから、最低4時間半は移動に使わないといけないわけで。


 理屈じゃ動かない感情もあるので今はぐつぐつしている。

 
2005年5月29日



給料分は仕事しろ

 あとね、できない仕事はしようとするな。
 他に適任がいるなら譲れ。
 少なくとも外の機関に迷惑をかけるな。
 まず生徒を第一に考えればおのずとすべきことは分かるはずなんだが。


 んで嫌味も通じないのでストレートにものを言うしかないのよ。
 せめて私より給料安けりゃ腹も立たないけど、目が飛び出るほどもらってるのよあの人たちは。
 
2005年5月27日



なぜやる気が無いか

 やるべき最低ラインはやってると思うし、理科と部に関してはやるべき以上にやってると思う。


 でもまるで自分がテマニスではないかのように感じる位、やる気というものが無い。


 転勤に伴う鬱かと思ったが、遊ぶことはまあまあ元気にやれているので違うらしい。


 愚痴っても愚痴っても転換が出来ないので、ここに書いてみることにした。
 やっぱ何か違うと思うんだよ。


 今年、私は研究主任という校務分掌が当たった。
 まあ大したこと無い。
 担任外れたのは残念だが、公僕として言われたものはやろうと。
 ここまで来ちゃったらなかなか担任に戻れないような気がするなあとも思いながら。
 ていうか、例え私が出来なくても、それはこういう人事をした管理職が悪いと。


 全然この仕事がやりたくなくて、本当にケツに火がついて火傷の度合いで言うと2位まで何もしていない。
 なんだかんだ言って振り返れば一応帳じり合わせる私とは思えない、エビのようなあとざすりっぷりである。
 要するに、全く納得していないわけだ。


 なぜ納得がいっていないかよくよく考えて思い当たった。


1 この分掌について何の打診もなかった
 普通分掌は「これでいい?」って打診があるわけだ。
 無かったなあ。
 非常識なことだと思うんだが。
 もちろん私は答えを準備していた。
 研究主任以外なら生徒指導でもいいですという勢いだった。
 決まったもんにごちゃごちゃ言うのも何だから、そのまま飲んだけど。
 やっぱり納得いかない。


2 他に適任がいる
 他にできる人がいないなら諦めるが、どう考えても私より向いているのが二人、本当はやるべきであると思われるのが一人。
 研究主任をその学校一年目にまかせるのって普通じゃない。
 その上、私は研究主任の仕事を他の学校でやったことが無い。
 離島でスタッフが少なくてもうどうしようもないならあきらめるが、案の段階では私が3年担任ってのもあったそうだからなおさら納得いかない。
 やるべき2年目さんが研究主任という話もやはりあったそうだ。
 こんなことなら顔合わせの時暴れておけばよかった。


3 コンセプトが自分から出てない
 自分でテーマ決めていいならそれなりに先も見える。
 でも前任者はテーマだけ「校長と適当に決めて(本人談)」置いてった。
 データも去年と全く違う内容なので使えない。
 そりゃ指定校外れたてで適当にやっていいって事だよね?
 やる気無し。


4 次年度準備がされてない
 こういう条件だったら、いやそうでなくても、次年度準備委員会が来年度分の研修ぐらい組んでおくのが普通だと思う。
 私が受けたときはまっさら。
 なーんもなし。
 何が必要なのか、新しい任地でたった2週間でわかるわけない。
 まあこれは適当にやっていいって事だよね。
 一応言い訳だけど、「私には向いていません」と校長に言ったときには「あんまり難しく考えずやれることをやろう」とおっしゃっていましたよ。お忘れのようですが。


5 じゃあしょうがないな、と組んでみれば
 ほぼ全部アウト。
 だって私が今までいた学校、校内研修って体験的なものと研究授業しかなかったし。
 体験的なものは部をするようになってからはほとんど試合と重なって参加してないし。
 何が必要かわからないし、テーマが変で当てはまるような活動が無いし。
 まあこれはテキトーにしか組んでない私も悪いとは思うが、校内研修の存在意義も認めていないワタクシが組んでるんだから仕方なかろう。




 ちなみに「日本国憲法に子供の人権はない」と豪語してはばからないワタクシが人権主任でもある。はっきり言って私のモラルからも感性からも性格からもあまりにも遠い。はっきり言って研究主任よりいやな仕事である。


 掲示物で対応しろという話なので、一発目は「日本の高校生は人権を侵害されている、制服を決められて自由な姿で教育を受けることも出来ない」と馬鹿弁護士と踊らされ高校生が「子供の人権年」かなんかの国際会議に出て大恥をかいた(っていうか国辱?)話を掲示物にしようかと思っている。でもこの嫌みは職場の誰にも通じないかもしれないとも思っている。天の邪鬼は辛い。


 自分で言うのも何だが私は働き者でそれなりに仕事もできるほうだと思うが、適材適所という言葉もあるということや、1年目は所詮一年目だってこともちゃんと考えて人事はやって欲しいと思う。
 今回久々に本島に上がってきて、転勤した友人達と会って、一番感じたのはそれだった。


 覚えてやがれ、私をこの分掌に嵌めたことを後悔させてやる。
 気楽でのほほんとした校内研修に、という初期ビジョンは捨てましたから。
 ひーひーいわしたるから覚悟しやがれ、というのが今の結論である。
 
2005年5月4日



花は待っていたのかもしれない

 久々に我が家に帰ってきたら、まだ花がきれいだった。
 離任式で貰った花。
 何日経っているのかわからないほどだ。


 水切りだけして寝た。


 その時は背を伸ばすようにしゃんとして、
「花の命は短くて、って何の花よ」
 と思ったくらいだった。


 翌日、枯れた。


 まるで私が帰ってきたのをきっかけに枯れるように。
 
2005年5月3日



離任式の花

 大まかな引っ越しが終わり、明日ワタシは本格引っ越しだ。


 離任式でもらった花がまだとてもきれい。
 10日も経つのに。


 写真も撮れるだけ撮ったし、十分楽しんだ。
 でもまだまだきれいなんだ。


 もらった鉢植えは持って行く予定だが、この切り花達をどうしよう。
 とりあえず水切りをする。
 
2005年4月2日




卒業式の花

 色々面倒くさいことだと思うんだけど、何か理由があってルールがある。


 例えば、今の勤務校では、卒業式に花束を贈ったりするのは禁止。


 貰える生徒と貰えない生徒がいるから、と言うのが理由のひとつ。
 私個人の見解では、部とか生徒会で頑張ってたから貰えるんだから、そういう後輩作らなかったから貰えないんだから、それも人生なんじゃない?と思ってた。


 問題はもうちょっと金絡み。
 後輩が自発的にやるならいいんだろうが、そうじゃないケースもある。
 上級生が下級生に高い花束を強要しちゃったり、下級生がその花束代を金銭せびりしちゃったりするといけないって事なのであるよ。


 だから、生徒会から全員に花一輪+霞草。
 仕方がないかなとも思うし、ちょっとつまんないなとも思う。


 花は貴方達に贈られたものなんだから大事に持って帰りなさいと、卒業式の退場の花道で3年生を叱っていた。(考えたらそんなときまで叱らなくてもいいじゃんワタシ)


 したら叱った直後に、


「先生、あげる!」


と可愛がったこの代のダブルスエースがひょいっとピンクのガーベラをくれた。


 もちろん全員への花一輪だ。


 さすがに叱れませんでした。
 弱し。


 活けてあるよもちろん。
 勝ち負けで言うと負けだが負けてもいいだろう、こんな時ぐらい。
 おめでとう。
 
2005年3月3日



服飾に興味が薄い

 私は普通より大分服飾関係に興味が無いほうだと思う。


 仕事柄服装が限られるというのもある。


 もともと趣味はうるさいけどストライクゾーンが狭くて似たような服ばかり着ていた。
 それが最近もっと狭まっている。


 沖縄に住み始めた頃はジーンズとポロが基本でちゃんとするときはワンピかきりっと系スーツだったと記憶している。


 今の学校に勤務し始めた頃も似たような感じだったが、外への出張も多かったし週に一回はきちんとした格好で出勤していた。
 この頃のきちんとは暗い色のスーツ。


 大きな病気がわかったときには「こーゆー格好で人の記憶に残るのはいやだな」と、毎日ちゃんとスカート履いて化粧もしてというそれこそ渋谷で教えていたときと同じくらいがっつり着てみた。
 いや、1ヶ月持ちませんでしたが。<入院したから


 戻ってちゃんとした格好する体力が無いことがわかり、この辺からもともと雑な服装がもっと雑になる。
 Tシャツで授業はしてなかったハズなんだが。
 ジャージで授業とかとんでもなかったはずなんだが。
 てか足もとのスポーツサンダル(走れる)はなんだ。


 結婚してどうなったかというと、洗濯が旦那任せなので色物を買わなくなった。
 手洗いが必要な華奢な感じの素材や、凝ったレースなんかはなおさら買わなくなった。


 黒のトップス、それも半袖+黒のコットンパンツ。それが全て。


 靴下もほとんど全部黒だ。
 真っ黒はかえって探すのが難しいので半分黒とか一部黒とかもあるが。
 もちろん下着も全部黒だ。


 いつでも葬式に出られるんじゃないか。


 靴もスニーカーにグレーがあるだけで、皮のはいつも黒。


 持ってる、他の色も。ピンクもオレンジも、ベージュや茶色は結構沢山持ってる。
 でも着ない。


 パタリロと言う漫画を御存知だろうか。
 あれと何も変わらない。


 ウォール街の大物が、すごくいい(趣味もいい)黒の同じスーツを6着仕立てて、それに合わせてシャツとかネクタイもまるで同じものを数揃えて、「これでどこに行くにも何をするにも一生服装について悩む必要が無い」と言ってたそうだ。
 うらやましい。


 でも女性には男性のスーツに当たる服装が無い。
 何で無いんだ。


 アクセサリーはイヤリング(ピアス)とバングル(ブレスレット)は好きなんだが、他のものはほとんどしない。
 バイクのメットにピアスは邪魔だし、バングルは実験の邪魔だ。
 普段からしているというわけにはなかなかいかない。


 結構持ってはいるが。アクセサリーって貰ったりもするし、買いもするし、今は造るとこまでやるし。


 カバン道楽だった時代もあるが、今は治まっている。
 主に収納の問題で。
 いや、入れるとこは結構あるんだけど、手入れしないと黴びるし。
 カバンなんて3個ぐらいあれば足りることがやっとわかったし。
 <トート、ハンドバック、旅行用の布製トランク


 靴道楽だった時代もあるが、今は治まっている。
 一番狂ってたときはオーダーで作ってたが、それもデザインは黒のパンプスだったり。
 色のついたドレッシーなのは履く場所が無いし、編み上げのブーツとか間違って生徒蹴飛ばしたら危ないし、何よりも着ている服に合う範囲で一番履きやすい靴しか履かなくなったからだ。
 相変わらず趣味はうるさいので買いに行っても打率は1割。
 買い物自体が面倒だ。


 ヘアアクセサリー(髪ゴムとかバレッタ)ですら黒だ。
 なんで黒なんだ。
 理由は簡単だ。


 白にはいろんな白があるし、茶にはそりゃあ沢山の茶があるけど、黒はいろんな黒があっても黒だから大丈夫なんだよ。


 昔は小物も全部黒で統一していたけど、最近はこれだけは色を使うようにしている。
 カバンの中で探しやすいから。
 あと、カバンはせめて黒を持たないようにしている。
 それくらいか。


 黒一色、周りの人がしてたら結構嫌かも知れない。飽きるし。
 でも今日買った服、7着全部真っ黒だ。
 悔い無しってことで。
 メーテルとお呼び下さい。
 あっ、石を投げるのはやめて(;_;)
 
2005年3月3日



反省中

 ワタシは普通に先生で、生徒指導も普通にするし、教育相談も普通にするし、授業もそこそこだし(予備実験は足りないが)、部指導にも熱心だし、あんまり困らず教師として生きている。


 まあ今でこそ、という部分もあるが。
 このサイト始めた頃はひどいもんだったし。


 学級をうまくコントロール出来なくて困っている後輩がいる。
 一生懸命で、働き者。でも学級経営がうまくいかない。
 こんなこと言っちゃ何だが、その後輩にも問題はあるなあって思ってた。
 極端に先生っぽいのだ。


 年もいって誰がどう見ても先生、というなら先生っぽいのもプラスだろうが、ワタシぐらいの若造ではそれはマイナスになることの方が多いんじゃないかと。私見であるが。


 力での生徒指導は向いてない、それなら他の方法でって考えないと。


 なーんて奢っていたら、後輩と同じ生徒とトラブってる。
 駄目じゃん、ワタシ。


 ワタシの場合は指導がきついのでコントロールもついてるし私自身は何も困っていないんだが、生徒側から見たら後輩もワタシも同じ、「自分とは価値観の違う鬱陶しい大人」なんだな。


 まあどう謙虚に考えても自分が間違っているとは思わない。
 ただ、その生徒を特別扱いせず、フェアであるだけなので。
 でも努力無しに特別扱いされたい生徒というのは2割ぐらいはいるもんで。
 何度関係をつくっても同じところでつまづくだろうとは思う。


 でもその生徒とうまくいってないという一点においては、ワタシと後輩は同じであると。


 大反省中である。
 ここ1年ぐらいずっと自分を振り返らず相手を責めていた点を反省している。


 そういえば授業でも清掃指導でもずーーーっと大喧嘩(どう考えてもあれは指導じゃないな)してた生徒もいるなあ。
 まだ本当になりたての頃、最初はまとわりついてきたのを他の子と同じように接していたら「先生のことが嫌いです」と手紙をもらったこともあったっけ。
 なんでかわからんが張合われたこともあった。
 親御さんとの大喧嘩は塾で教えてた時代も合わせて2回。あ、今年のアレも入れると3回?あれは喧嘩じゃなくて単なるクレームか。
 今回のようにはっきりと関係がよくない例は、ワタシの荒い性格の割にそれほど多くはない。
 でも、無いわけじゃない。


 ああこりゃうまく関係が築けなかったということはもっと沢山ある。
 主に生徒が上手くやってる場合だ。
 中学生や高校生なんて自分達でちゃんとやってくもんだし、というスタンスがあって、そういう時にわざわざ強い関係を築く必要は無いと思っちゃうんだよな。
 顧問だったら別だけど、担任だとそう思っちゃうことあるんだよな。


 一方的に自分がわじってるってのもたまにある。
 これはわじる原因があるので仕様がない、と自分に言い訳か、こりゃ。


 どうこうする気はないんだが、初心に戻って誠実に手を抜かず全力で、は基本に置こうと。
 せっかく好きな仕事やってんだから。  
2005年2月12日



ハーボットのために

 本末転倒である。


 このページの下の方にハーボットを貼り付けてある。
 名は「えどはる」。


 もちろんエドガー・ダービッツのオランダ語読みである。


 もう多分誰も知らないし本人も忘れていたが、もともとワタシがHP作成に手を出したのは彼のファンサイトを作りたかったからだ。
 今はACミランで(ああびっくり、ウチのPCは「みらん」と入力すると「ACミラン」と勝手に変換するよ)腐っちゃっているが。


 何の話だ、ああハーボットだ。


 ポスペもそうだが、こいつら単なるデータの癖にちょっとこっちがサボるとぐれるのだ。


 最近ブログばっかりでこっちをいじっていないのは、単に更新するような怒りネタの深いのが無いからで、他意はないんだよ。
 でも今日見たらBBSは荒れてるし、ハボはぐれてるし。


 お客さんから名前を教えてもらうと喜んだり、ワタシに仕事状況をチェックされるとやる気を出したり、そのページを更新するとご飯の美味しいのが食べられて喜んだり、というもーなんて手がかかる仮想生物なんだ。


 きっぱり家出でもしてくれればまだ諦めが付くんだが、ぐれてもプチ家出をしても帰ってくるもんで、まあ今日はえどはるのために更新してみることにした。


 もしここにたどり着いてこれを読んでしまった人がいたら、ぜひウチのえどはるに話しかけて少し御機嫌を良くしてやって欲しい。


 大本末転倒である。


 ちなみに私の飼ってるポストペットは初代がまだ生きている。もう5歳だ。くま。
 業を煮やして二台目のPCで別のを飼ったら、これもまだ生きてて4歳。ロボット。
 長生きで何よりだが。  
2005年1月23日



前に出ざるを得ない

 卒業式準備が始まっている。


 ワタシの頭は天井からギャラリーにがーっと入れる五色テープの設置とくす玉でいっぱいである。
<ホントに大変


 まあ分けるわけにも行かない仕事なのでこれはウチでやる。
 他は生徒会じゃないところで、でもできるだけ負担は小さく。
 今年のコンセプトである。


 だからこそ職員会議では発言したくないんだが。


 それが許されない感じである。


 運営委員会では「式なんだから余分なものはできるだけやらない、要は生徒会がやることなど何もない」と。


 そーなると挨拶と卒業証書授与だけの寂しい式になるでしょ?
 可愛いこの代送るのにそれは無いよね?


 というわけで隙間を縫ってやれることを考える。


 考えてたら隙間を縫わなくても時間を取れと提案があって、それで黙っていられなくなった。
 ああもう前に出たくない。
 ワタシはこっそりやりたいようにやるのが好きなんだよ。
 でも職員の半分が今年来た人で、あと半分の半分はこの手のことに興味が無いヒトで。
 ていうかこれって3年のための式でしょ?管理職とか3年職員とかはイメージ無いわけ?


 無いらしい。


 教務のH先生にはあるんだが。<シンプルイズベスト、実はワタシもそう


 直前に大穴が沢山見つかってその穴を埋める仕事が必ず生徒会にはあるのよ。
 早めに連絡して欲しいっていわれてもねえ。
 それは生徒会の仕事じゃないしねえ。
 気付いて穴埋めただけでも褒めて欲しいくらいだが。
 まあ今年はそういうのもできるだけないように、去年やったことは誰かに振ろうと。
 (それでも五色テープとくす玉は残るが)


 「思い出アルバム(式の中で上映できるように作った10分位のビデオ)」は職員会議通ったので、技術の先生に。
 最初からそのつもりで暗躍。
 これは結構準備が大変なんだが、「俺が俺が」なこの先生がメインで作った(それも一番大変なところは教員補助に丸投げしてた)もんで去年はちょっとね。
 具体的に言うと生徒の写真をスキャナで取り込んであるんだけど縦横比が歪んでるしね。
 最後の3年職員が手を振ってるシーン(テロップ<必要か〜?)が全体10分のはずなのに1分超えてるしね。振ってる職員途中で辛そうだったし。
 ホントは私がやりたい。その方がいいものができる。


 でも、これ以上仕事が重くなると分掌が不公平になるので私が付くわけにはいかない。
 そこで生徒を使う。
 多分推薦でオッケーという子に最初から声かけしてあって、そのつもりで準備もさせて。去年の春からデジタル写真を撮り貯めさせてある。


 その上、校内推薦通った時点で、やりたがりで担当になるはずのその先生に「俺達やってみたいんです」とかへりくだった声かけもさせてだな。


 完璧。


 案の定、その先生から「生徒達がやりたいって来ているので」と声も出て。ほほほ。
 思うツボだわ。<とことんまで発言したくない


 ホントは職員だけでやったほうが簡単なのよ。でもここは教育の場だからね。
 今年は生徒通して直せるし、これでストレスも減るというもの。
 それで駄目ならと3年主任にお願い駄目押しもしてある。


 学級取り組みの方は、もうこれはありがたくて仕様がない、担任が難儀すべきところを美術の先生が持ってってくれることになった。
 卒業制作やらないこと考えるとまあこれでいいのかもしれない。


 時間喰う2つはこれで大丈夫。


 口も出したくない、仕事はどうせ当日近くなったら穴が来る、だから今見えている仕事はできるだけ他の方に。
 そーでなくても仕事多いんだからね。


 でもイメージが無いヒトは会議で発言しないから、結局。
 あああああ。


 でも、いい式にする。その努力ができる位置にいるんだから。
 生徒側の意見言えるのワタシだけだしな。
 それでも発言はしたくない、ホントは。  
2005年1月15日



才能の限界?

 ほとんど黒しか着ない。
 色考えるのが面倒だからじゃないかと思う。


 このサイトも黒と青。一時ピンクも使っていたが、結局この色で治まった。


 ブログもこんな感じのいろんな青だけの色彩。


 実はですな、買ったビーズが銀と青と黒とそのグラデーションばっかりで。
 赤と金とピンクは頼まれた分を作るためなんで、ホンの少し。


 ひょっとしてワタシにはビーズワークに一番大切な色彩感覚が無いんじゃないだろうか。


 ビーズ初めて1ヶ月、材料がないだの金具が無いだののマテリアルな山は越えつつあるが、これは越えられない山か?


 大丈夫、真っ黒とか青グラデとか逃げ道はあるから。
 マルチカラーとかどうせ似合わないし〜。


 へっ、あのブドウは酸っぱいに違いない。  
2005年正月元旦



相続ということ

 友人のところが相続で揉めている。


 もう結構長いこと揉めている。


 祖父祖母の娘が二人、友人は長女の娘。
 友人は祖父祖母と同居もしてて、二人を最後まで見たのは彼女だ。


 ってんで彼女の母(長女)がぼーっとして放っておいたら、次女(彼女の叔母)が主張しまくりらしい。


 彼女の側はもう折半でいいと言っているんだが、向こうが折れないらしい。
 何か他にも色々あるんだがここでは割愛。


 別に、仲悪くなかった。
 でも今はどろどろ。


 結局兄弟仲を壊さないためには、一番欲張りが一番沢山持って行くだけ持って行かせて、他は最初から遺産なんて当てにしないことしか出来ないんだろう。


 兄弟は最初の生存競争のライバル、でも仲悪くならないようにちゃんと色々考えておくのは悪いことじゃないと思うな。
 公平にね。
 
2004年12月31日



最近あんまり怒ってなかったんで更新が途絶えてました

 今日怒ったこと。
 歯医者に。もう誰が悪いってんでもなく、今麻酔で気持ち悪い。


 昨日怒ったこと。
 職員室黒板前の棚に私物山のように置いている若いもんに怒った。
 片付けさせたさ。


 一昨日怒ったこと。
 だらける部の生徒に。楽しいと一生懸命は両立するんだが。
 それが判るには低すぎるのか。


 その前の日に怒ったこと。
 日曜日?
 あ、部のあと赤ちゃん見物に行った日か。怒ってないなあ。


 怒る必要がなくなる日々が来ているのかな?
 無力感はあるけどね。スマトラ沖地震とか。どうにもならんし。


 あ、あったあった腹の立ったこと。
 生徒に海洋堂時代のチョコエッグのツチノコ(アルビノ)貰ったのよ。
 もーそりゃー嬉しくて、ブログにアップしようと思ったら職場の机に忘れてきてんの。
 くそう。
 あ、イカ持ってたら是非ワタクシに下さい。大事にします。  
2004年12月29日



制御下にない

 自分の感情は普通自分で管理できるもの。
 嬉しいからって踊らないし、悲しいとかつらいで泣きも暴れもしない。
 まあ大体普通に気楽に暮らしている。
 一応大人だし。


 珍しく感情に波が立った。
 ネガティブな感情。
 なぜそうなったのかが自分でもよくわからない。


 わからないのでほぐしようがない。


 そしたら、見えなくなった。
 本当に見るのも嫌なものは見えなくなってしまうのだ。
 その事実に気がついたとき唖然とした。


 そこまで深い感情だったのかと。


 私はただ怒っているだけだと思っていたのだ。
 今までもつい顔を見るとアクセル踏んで轢いてしまいそう、っていうのはあった。
 その相手ですらちゃんと顔は見えていたのに。


 私の好悪は大抵相手と同じなので、私が嫌われているのだろう。
 その辺を認識したくなくて多分脳が相手の顔を消してしまうのだろう。
 盲点のようなその部分を、もう認識したくない私を許して欲しい。


 努力はした。
 時間が解決することだし、解決しなくても多分誰も困らない。
 もう、どうでもいいこと、そうでしょう?


 どうしてこんなことになったんだろう。
 盲点が増えていくような予感と、あっさり消えるような楽観と。


 今までもこうやって嫌いなものを脳が消していたんだろうか。
 気付いたのは今回が初めてだけれど。


追記:努力すれば顔が見えることが判りました。
   意識の外に出たのでもう特に感慨はないです。
   他人事だと思ってたけど、
   右側に嫌な上司が座ってて右向けなくなるとか、
   あるだろうと思った 。
   脳って面白いねえ。
2004年12月12日



応援という仕事

 生徒会なので応援の仕事が回ってくることが多い。


 陸上競技大会から駅伝まで、秋は応援団と執行部を駆っての応援三昧だ。
 悪い仕事じゃない。
 でもメインではないという自負がある。


 応援というのは普通応援したい相手がいて、するもんなんじゃないかと思う。
 仕事としての応援は、いかに多くの生徒の気持ちを応援に向けるか、応援を盛り上げるかで、自分が応援するわけじゃない。
 自分が応援する暇なんかほとんど無い。


 この矛盾。


 自分の学級を持つ担任だったら話は違う。
 もー本人が嫌がろうが何だろうが学級引き連れて応援しちゃう。
 自分が応援したいから。


 でも生徒会で対外行事を応援するのはちょっと違う次元だ。


 どう盛り上げるか。どう組織を作るか。
 応援団の勢いをどう束ねさせるか。
 私がやったら全然面白くない、生徒自身に動いてもらわないと教育現場としての意味もない。
 気持ちがある応援団を使って選手じゃない生徒達の気持ちを競技に向けるか。


 選手のいいパフォーマンスがあれば生徒達の気持ちは自然にそっちを向く。これが一番。
 選手への応援も、実は一緒に頑張ってきた他の選手からのが一番いい。
 選手達と頑張っている顧問の先生達からの声かけがいい。


 つまり、ワタシの仕事は穴埋めだ。
 穴埋めで言葉が悪ければ、繋ぎ。
 頑張っている選手達や先生達の状態をうまく伝えて、気持ちを乗せて、応援しやすい状態に持って行く。
 気持ちがある生徒達が活動しやすく地ならしをしておく。
 そういうこと。


 まあ割と出来たんじゃないかと思う。
 毎年生徒にも恵まれた。
 笛吹けど踊らず、ではどうにもならないが、そうじゃなかった。
 水が流れるように気持ちを向けてくれる生徒全体がありがたかった。
 そう仕向けることに裏方として頑張っている生徒会執行部や応援団達の努力がありがたかった。
 とにかく選手が頑張ってくれないと応援の仕様もないので、頑張ってる生徒もありがたかった。
 なんか本末転倒になってきているが、何となく全体が盛り上がるにはどの部分もフィットしないと駄目なんだよね。


 だからこそ、ある程度うまくいっていたからこそ強く思う。


 主役は選手と、その指導にあたる人達だと。


 そのせいだろうか、いつもどこか冷めていた。
 可愛い生徒達の応援の仕事であることは、何の変わりもないのに。


 学級を持っているときとは違う冷静さで、応援の手配や演出を行う。
 愛校心もあるし全く冷めているわけではないんだが、学級を持っているときとは気持ちが違う。
 所詮脇なのだから、ときっちりブレーキを踏んで。
 脇である応援を盛り上げて、でも前に出しすぎず選手を立てて。
 その代わり脇で一生懸命な生徒をちゃんと評価してあげるのは私の仕事だと。
 そういう生徒を別な場所で前に出すチャンスも作らないと、なんて策謀も廻し。
 自分が応援している暇なんて、無い。


 飽きた。


 今日の県駅伝では、もういいやと思って部の生徒を連れて部の選手を応援しに行った。
 知恵ばかり使って私自身の気持ちを使わない応援に飽きたから。


 やっぱりいいよ。その方が。ワタシには。脇であっても気持ちがあるのがいい。




 気持ちを盛り上げるのが仕事、だからそう割り切って熱心にやってきた。
 応援のありがたさを重々知っているからこそ、自分が応援するのではなくいかに全体で応援するかに心を砕いた。
 そういうポジションが必要なのもそれが評価されてるのもわかってる。
(ワタシがじゃなくて応援を盛り上げる役の生徒達が、ですよもちろん)


 でも本当は応援させる仕事じゃなくて、ただ応援したいと、それが本当だと、今日思った。


 必要なポジションではあるんだけどね。応援の裏方。
 だから誰かがやらなくちゃいけない仕事。わかってる。好きでやってる。
 応援される側からしたら、応援されなきゃ寂しいけどまあたかが応援だってのもわかってる。


 応援という仕事と、ただ応援をすることは違う。


 納得して必要を感じて公務として割り振られて熱心にやっているにもかかわらず、なぜどこかが冷えているんだろうとずっと思っていた。
 冷えていなければ全体を見ることも動かすことも出来ないからだろうと思い当たった。
 ただ応援する立場でありたいと思うが、なかなかそういうポジションが巡ってこないのは残念だ。
 仕事になると生徒の頑張りを見ている暇さえない。


 この矛盾。不思議だ。


 あくまで好きでやってはいるけど。今日は仕事とは違っていたよ。
2004年11月20日



どんなによくても飽きることはある、でも変えたら良くなるとは限らない

 どんなに好きなテイストのインテリアでも飽きることはある。
 髪形だってそうだ。


 染めてパーマかけて時間も金もかけて全然違うスタイルに。
 ど茶髪ストレートから真っ黒ぐりぐりに。


 回りの反応で一番マシなのが、「うわあ、誰かと思った」


 ぐりぐり具合が足りないのか?足りないのか?きっと足りないんだな?


 ワタシは似合っていると思うんですがね、変化というものは常に受け入れられないということだろうか。<きっとそうじゃない、くそう
2004年11月13日



メール3通

 出張に行って、協議が終わったあと携帯を見たらメールが3通入っていた。


 二通は今高3の部員OB、一通は一昨年3年で担任したウーマクー。


 一つは、部に来るよ、というメール。
 推薦で大阪の大学に受かったらその報告に来るよ、と先週末に言ってた。


 一つは入院しているMから。
 これは今月末でとにかく退院して、3学期は学校に行くらしい。
 そうしないとダブり。留年したら卒業できないと思う。


 一つは、担任してた娘に3100gの赤ちゃんが産まれたというメール。


 人の生というものにとてつもない広がりを感じてしまった。


 たった3通の短いメール。
2004年11月9日



人生色々、というところか。




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